日田祇園祭
日田祇園祭(ひたぎおんまつり)は、大分県日田市豆田・隈・竹田地区の、豆田町八阪神社、隈の八坂神社、および竹田若八幡宮(若宮神社)で行われる曳山行事を含む厄除け神事。
概要
京都府京都市の祇園祭を手本とした祇園祭の一つ。曳山行事は毎年7月20日過ぎの土日に行われる。昭和59年(1984年)3月30日に「日田祇園会」として大分県の無形民俗文化財の指定を受け、平成8年(1996年)には「日田祇園の曳山行事」という名称で国より重要無形民俗文化財の指定を受ける。山鉾は、豆田地区(港町・下町・中城町・上町)4基、隈・竹田地区(大和町・川原町・若宮町・三隈町)4基と、八坂神社の平成山鉾・祇園会館内に常時展示されているものを含め、両町あわせて10基ある。
歴史
四百余年前に、日隈城内にあった八坂神社が日隈城廃城のおりに現在の隈、寺町付近に移され(現八坂神社)、その後厄除け神事が行われるようになった。寛文年間(1660年 - 1672年)頃にはすでに、杉の葉枝などを盛り、幕で飾った曳山があり、太鼓などで囃して巡行していたと長嶋家の古文書にあり、江戸時代中期の正徳4年(1714年)、南条金左衛門が代官であった頃に、京都の祇園山・鉾を手本として本格的な山鉾が造られるようになったとされる。
祭事の主な日程
山鉾の巡行が行われる1週間前の日曜日午前0時に、「神輿洗い」を行う。神輿洗いは、町内に疫をもたらす神を荒神神輿に引き連れて、川で禊を行う神事である。 続いて「流れ曳き」を行い、巡行の安全を確かめる。平成元年(1989年)より日田駅前において集団顔見世を行うようになったが、これは流れ曳きを利用したものである。3日続けて山鉾を曳いてはならないという掟があり、流れ引きは巡行本番の2日前に行われる。
曳山行事の本番は当初、隈・竹田地区で旧暦の6月10日と6月11日、豆田地区で旧暦の6月14日と6月15日に行われていたが、明治6年(1873年)に7月14日と7月15日に統一され、昭和45年(1971年)より、7月20日過ぎの土曜日と日曜日に行われるようになった。
囃子
囃子は、文化年間(1804年 - 1818年)に日田郡代の目明であった小山徳太郎が長崎で明笛を習得し、それを祇園囃子として使用したのが始まりである。篠笛を主旋律に、太鼓、小太鼓、三味線で構成され、江戸中期から明治大正までの俗曲や端唄などを元にした五十数曲目が演奏される。特に篠笛は京祇園のものと違い明笛という竹紙を貼るもので、内にこもったような音を出す。
曲目
曲目は、山小屋に納める時や出発するときなどに演奏される役物と、通常の巡行中に演奏される道囃子とがある。道囃子はさらに、穏やかな曲調の「十四日もの」と、囃し立てる「十五日もの」とがある。
- 役物
- パイロン
- 吹上観音(ふきあげかんのん)「吹上観音音頭」のアレンジ。
- 花猩々(はなしょうじょう)
- 萬歳(まんざい)
- 道囃子
- いろは歌(いろはうた)
- 梅ヶ軒端(うめがのきば)
- 奥州白坂(おうしゅうしらさか)
- お染久松(おそめひさまつ)
- お婆どこに(おばばとこに)
- 頃は卯月(ころはうずき)
- 醒ヶ井(さめがい)
- 水郷節(すいきょうぶし)「水郷音頭(水郷節)」(すいきょうおんど)をアレンジしたもの。
- 炭坑節(たんこうぶし)「炭坑節」のアレンジ。
- 蔦蔓(つたかずら)
- 羽織着せ掛け(はおりきせかけ)
- 花見月(はなみづき)
- 帆上げた船(ほあげたふね)
- ほんにおもえば
- 八重桜(やえざくら)
- 屋根の烏(やねのからす)
類似する祇園囃子
類似する囃子には浜崎祇園山笠や日田系の吉井祇園・片ノ瀬祇園や九重下旦祇園山鉾のものがある。九重下旦のものは、浜崎祇園の関係者から習ったといわれており、寅市(寅一)など日田のものにはない曲目がある。曲は浜崎のもので曲調・テンポは、日田様という融合した囃子となっている。
山鉾の形体
博多祇園山笠の山笠と同じ岩山笠。これと似た構造を持つ他地区の山は「日田系」と分類されている。
構造
山鉾の高さは、江戸末期から明治期には15メートルから最高で20メートルにおよんだが、電線が張られるようになると最高5メートルにまで制限された。戦後、電柱が高く造られるようになり、平成2年には約10メートル級のものが復活した(平成山鉾)。現在、隈・竹田地区の山鉾で徐々に高さが回復してきているが、豆田町では高さにおいて回復の遅れがあるものの、橋越えのためのブレーキがある下町や、高さが5メートルから8メートルに変形する中城町などの個性がある。
飾り
歌舞伎の演目などをもとに華題が造られる。岩山に滝、流水、屋形、造花、人形などを左右非対称かつ立体的に配し、背後には赤い布地に伝説上の動物、人物等の刺繍を施した幕を掛け、これを「見送り幕」と呼ぶ。山鉾高欄の下には見送り幕と同じく赤地の布に刺繍を施した「水引幕」を廻らせる。両者は一対にかけるのが正式であるが、見送り幕を掛けずに巡行する場合もある。
人形師は長嶋作造であったが2012年に死去したため子息の長嶋静雄が中心となって人形製作を担当している。晩山(宵山)では、いくつもの提灯が取り付けられた山鉾が巡行される。
その他
- 日田祇園での一本締め(4拍手)を日田締め・日田式( - の一本締め)ということがある。
- 最終日、隈地区の晩山に行われる喧嘩山のことを正式には札ノ辻入りという。豆田地区では、橋の上で同じようなことを行う。
- 山を持ち上げて回転することをこしきりという。腰切り・腰を切るともいい、腰を痛めないために腰を伸ばしきって担ぐという意味である。
- 男はつらいよ 寅次郎の休日 - 1990年に公開された男はつらいよシリーズの43作目に祭の様子が出てくる。
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日田祇園祭りの模様。八坂神社に参る川原町山鉾の正面
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平成山鉾
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各町の見送り
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札の辻晩山の様子(三隈町山鉾と大和町山鉾)