新津勝資

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新津 勝資(にいつ かつすけ、? - 慶長5年(1600年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将上杉氏の家臣。新津城主。丹波守と称す。

生涯

新津氏は、金津氏の支流で、清和源氏平賀氏流の名門である。新津勝邦の婿養子で実父は山吉政久山吉豊守の父)。

第四次川中島の戦いでは他の揚北衆と共に参陣し遊軍として活躍。上杉景勝の時代には新発田重家の乱、小田原征伐文禄・慶長の役など、ほぼ全ての戦に参戦しており、景勝から多くの活躍を賞されている。その戦いぶりから上杉二十五将に選ばれている。

文禄2年(1593年)、婿養子の秀祐に家督を譲り、慶長5年(1600年)8月に転封先の会津にて戦いに明け暮れた生涯を閉じた。

逸話

  • 新潟県新潟市秋葉区(旧新津市域)に伝わる「新津松坂流し」は勝資が広めたものと伝えられている。領民の殺伐とした心を慰めようとした勝資は伊勢国・松坂に優雅な踊りがあることを知ると、数人を松坂に送ってその踊りを習わせ、唄と踊りを持ち帰らせたという[1]

脚注

  1. ^ にいつホットステーション 2018.8 vol.809” (PDF). 新津商工会議所 (2018年8月1日). 2021年11月13日閲覧。