文武丁

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太丁
28帝
王朝
姓・諱 子太丁
武乙
※名は文丁(ぶんてい)とも。卜辞では、文武丁ぶんぶてい)と作る。

太丁(たいてい)は殷朝の第28代帝

成湯の息子にも「太丁」がおり、それと名前が混同され、史記などでは名が太丁となったと考えられる。甲骨文では「文武丁」であるから、実際はこう呼ばれていたのであろう。

西の国である季歴を重用したが、後に監禁して餓死させた。

箕子比干帝乙の父でもある。