敷根崇裕

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敷根 崇裕
2015年
基本情報
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1997-12-07) 1997年12月7日(26歳)
身長 182cm
獲得メダル
日本の旗 日本
男子 フェンシング
世界選手権
2017 ライプチヒ 男子フルーレ個人
アジア競技大会
2018 ジャカルタ 男子フルーレ団体
アジア選手権
2019 千葉 男子フルーレ個人
2019 千葉 男子フルーレ団体
ユニバーシアード
2017 台北 男子フルーレ団体

敷根 崇裕(しきね たかひろ、1997年12月7日 - )は日本フェンシング選手。大分県大分市生まれ[1]

来歴

フェンシング選手だった父・裕一の影響で幼稚園のときにフェンシングを始めた[2]

2015年11月、東亜学園高等学校3年のときにフェンシング・ワールドカップで男子フルーレ団体メンバーとして日本代表デビューを果たした[1]。翌2016年法政大学へ進学[3]

2017年フェンシング世界選手権では、フルーレ個人で銅メダルを獲得[4]2017年夏季ユニバーシアードでは、男子フルーレ団体で金メダルを獲得した[5]

五輪初出場となる2020年東京オリンピックフェンシング男子フルーレでは準決勝まで進んだが、準決勝でダニエレ・ガロッツォ(イタリア)に、3位決定戦でホウペニトフ(チェコ)に敗れ、4位入賞となった[6]。また、男子団体フルーレに、松山恭助、永野雄大、西藤俊哉と出場したが、3位決定戦でアメリカに敗れ、4位入賞となった[7]

主な成績

出典

  1. ^ a b 辻健治 (2016年3月2日). “東京)HOPE/フェンシング・敷根選手”. 朝日新聞デジタル. http://www.asahi.com/area/tokyo/articles/MTW20160302131050001.html 2017年10月19日閲覧。 
  2. ^ フェンシング 敷根崇裕選手(ネクストシンボルアスリート)インタビュー”. 三井住友フィナンシャルグループ. 2017年10月19日閲覧。
  3. ^ 田原和宏 (2017年1月8日). “フェンシング・敷根崇裕選手 フルーレの灯守り2020年へ”. 毎日新聞. https://mainichi.jp/univ/articles/20170108/org/00m/100/005000c 2017年10月19日閲覧。 
  4. ^ 川峯千尋 (2017年7月28日). “世界選手権銀の西藤俊哉、銅の敷根崇裕が帰国 敷根、メダル破損に「ショックです…」”. 産経ニュース. 2017年10月19日閲覧。
  5. ^ “フェンシング団体で男女がともに金!バドミントン混合団体は銀/夏季ユニバ”. サンケイスポーツ. (2017年8月25日). http://www.sanspo.com/sports/news/20170825/spo17082520280017-n1.html 2017年10月19日閲覧。 
  6. ^ “フェンシング・フルーレ敷根崇裕が初出場4位、9キロ減量で増した俊敏性”. 日刊スポーツ. https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/fencing/news/202107260001279.html 2021年7月26日閲覧。 
  7. ^ “幼少からしのぎ削った4剣士 男子フルーレ団体4位”. 産経新聞. https://www.sankei.com/article/20210801-WDRYBUQK7BPBNA6CZ5MQXQMKXY/?outputType=theme_tokyo2020 2021年8月1日閲覧。 

外部リンク