懲罰事犯
懲罰事犯(ちょうばつじはん)は、日本国憲法や国会法の規定に基づいて、院内の秩序を乱したとして衆議院あるいは参議院に所属する国会議員に対して懲罰を与えることが相当とみられる行為。懲罰事犯については、各院の議長により懲罰委員会へ付託された上で本会議の議を経たのちに宣告される(国会121条)。議長自らが懲罰事犯と認めた事件あるいは各委員会の委員長が懲罰事犯と認めた事件について議長が職権で懲罰委員会へ付託する場合(衆議院規則234条、参議院規則234条)と、議員が国会法第121条3項の規定に基づいて懲罰動議を提出することで議長によって懲罰委員会に付託される場合がある(衆議院規則235条・236条、参議院規則237条・238条)。
概要
衆参各院は憲法第58条2項の規定に基づき、院内の秩序を乱した、とされる議員に対して懲罰を与えることができる。そのために提出される動議が懲罰委員会に付する動議である。議員懲罰権は各議院の権能のうちの自律的運営権に属し、憲法第58条2項本文は「両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。」としており、議院懲罰権はその対象議員の所属する議院が独立して手続をすすめることになっている(憲法58条、国会法121条)。
懲罰の事由
憲法58条2項は懲罰事由について「院内の秩序を乱した」とのみ定めている。なお、一部の具体的行為については国会法あるいは議院規則により懲罰事犯として付託することとなっている。
- 国会法
- 議員が正当な理由がなくて召集日から7日以内に召集に応じない
- 正当な理由がなくて会議又は委員会に欠席した
- 請暇の期限を過ぎた
以上の理由により議長が特に招状を発し、その招状を受け取った日から7日以内に、なお、故なく出席しない者(国会法124条)
- 衆議院規則
- 議長の制止又は取消の命に従わない者(衆議院規則238条)
- 参議院規則
- 議長の制止若しくは発言取消の命又は委員長の制止若しくは発言取消の命に従わない者(参議院規則235条)
- 国会法第63条により公表しないものを他に漏した者(参議院規則236条)
懲罰の手続
懲罰事犯に対する措置
- 本会議において懲罰事犯があるときは、議長は、休憩を宣告し若しくは散会・延会し又は事犯者を退場させることができる(衆議院規則233条、参議院規則232条)。
- 委員会において懲罰事犯があるときは、委員長は、これを議長に報告し処分を求めなければならない(国会法121条)。
- 会議及び委員会のほか議院内部において懲罰事犯があるときは、議長はこれを懲罰委員会に付する(衆議院規則234条、参議院規則234条)。
懲罰委員会への付託
- 議長による付託
- 議院において懲罰事犯があるときは、議長は、先ずこれを懲罰委員会に付し審査させる(国会法121条1項)。また、議員により懲罰動議が提出されたときは、議長は速かにこれを会議に付さなければならない(衆議院規則236条1項、参議院規則238条)。懲罰動議については、議長は討論を用いないで議院の決を採り、これを懲罰委員会に付する(衆議院規則237条、参議院規則238条)。
- 懲罰動議の提出
- 議員は、衆議院においては40人以上、参議院においては20人以上の賛成で懲罰の動議を提出することができる(国会法121条3項)。
- 付託・動議提出の期限
- 原則として事犯があった日から3日以内に提出する(国会法121条3項)。
- 会期終了日又はその前日に生じた懲罰事犯についての例外(国会法121条の2)
- (1)議長が懲罰委員会に付することができなかった場合、(2)懲罰委員会に付されて閉会中審査の議決に至らなかった場合、(3)委員会の審査を終了し議院の議決に至らなかった場合については、議長は次の国会の召集の日から3日以内にこれを懲罰委員会に付することができる(同条1項)。
- (1)懲罰の動議を提出するいとまがなかった場合、(2)動議が提出され議決に至らなかった場合、(3)懲罰委員会に付され閉会中審査の議決に至らなかった場合、(4)委員会審査を終了し議院の議決に至らなかったものについては、議院は次の国会の召集の日から3日以内に懲罰の動議を提出することができる(同条2項)。
- ただし、これらの例外規定は、衆議院の場合には衆議院議員総選挙後最初に召集される国会において、参議院の場合には参議院議員通常選挙後最初に召集される国会において、前国会の会期終了日又はその前日における懲罰事犯については適用されない(同条3項)。
- 閉会中に委員会その他議院内部において生じた懲罰事犯についての例外(国会法121条の3)
- 議長は次の国会の召集の日から3日以内にこれを懲罰委員会に付することができる(同条1項)。また、議員は次の国会の召集の日から3日以内に懲罰の動議を提出することができる(同条2項)。
懲罰委員会での審査・本会議での議決
懲罰に相当するか否かまず懲罰委員会で審査され、懲罰委員長により本会議へ報告されたのち本会議での議決となる。この際、議員は自己の懲罰事犯の会議及び委員会に列席することはできない。但し、議長又は委員長の許可を得て、自ら弁明し又は他の議員に代弁させることができる(衆議院規則239条、参議院規則240条)。また、懲罰委員会は議長を経由して本人及び関係議員の出席説明を求めることができる(衆議院規則240条、参議院規則239条)。
議院の本会議において懲罰を議決したときは、それが秘密会であった場合においても、その懲罰の宣告については、議長は公開の議場でしなければならない(衆議院規則247条、参議院規則247条)。
懲罰の種類
懲罰の種類は国会法122条に定められる。
- 公開議場における戒告
- 公開議場における陳謝
- 陳謝の文案は懲罰委員会が起草し、その報告書と共にこれを議長に提出する(衆議院規則241条、参議院規則241条)。なお、参議院規則では戒告の場合にも懲罰委員会が起草し、その報告書と共にこれを議長に提出することとなっている(参議院規則241条)。
- 一定期間の登院停止
- 登院停止は30日を超えることができない。但し、数箇の懲罰事犯が併発した場合、既に登院を停止された者についてその停止期間内に更に懲罰事犯が生じた場合については除外される(衆議院規則242条、参議院規則242条)。
- 登院を停止された者がその停止期間内に登院したときは、議長により退去が命じられる。その命に従わないときは、必要な処分をなし、更に懲罰委員会に付される(衆議院規則244条、参議院規則244条)。
- 除名
- 衆議院規則では「議院の秩序をみだし又は議院の品位を傷つけ、その情状が特に重い者」を除名の対象として定める(衆議院規則245条)。また、参議院規則では「議院を騒がし又は議院の体面を汚し、その情状が特に重い者」を除名の対象として定める(参議院規則245条)。
- 議員を除名するには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする(憲法58条2項但書)。懲罰委員会が除名すべきものとして報告されたが、本会議で出席議員の三分の二以上の多数による議決の要件を満たされなかった場合、議院は懲罰事犯として他の懲罰を科することができる(衆議院規則246条、参議院規則246条)。
- 両議院は除名された議員で選挙を経て再び当選した者を拒むことができない(国会法123条)。
本会議による懲罰委員会への付託例
- 実際には、懲罰動議は1国会に、与野党から数回~数十回提出されているが、実際に正式の議題として、本会議で懲罰委員会に付託する事例は稀であり、衆議院における最近の実例としては、1994年6月に山口敏夫議員、2000年11月に松浪健四郎議員(衆議院議長宣告)、2004年8月に津村啓介議員、2006年3月に永田寿康議員(後に議員辞職により審議打切り)、2007年6月の内山晃議員について実際に懲罰委員会に動議が付託された。
- 参議院においては、1952年(昭和27年)から、61年間にわたって懲罰動議の例はなかったが、2013年(平成25年)11月13日に、アントニオ猪木参議院議員について付託された[1]。
本会議 付託年月日 |
議院 | 議員 | 懲罰事由 | 懲罰委員会 | 本会議 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
議決年月日 | 懲罰内容 | 議決年月日 | 結果 | ||||
1947年(昭和22年)12月5日 | 衆議院 | 倉石忠雄※ | 12月8日 | 30日間の登院停止 | 12月9日 | 可決 | |
1947年(昭和22年)12月5日 | 衆議院 | 有田二郎※ | 12月8日 | 30日間の登院停止 | 12月9日 | 可決 | |
1947年(昭和22年)12月5日 | 衆議院 | 山口六郎次※ | 12月8日 | 15日間の登院停止 | 12月9日 | 可決 | |
1948年(昭和23年)12月11日 | 衆議院 | 外崎千代吉 | 12月12日 | 公開議場における陳謝 | 12月12日 | 可決 | |
1948年(昭和23年)12月13日 | 衆議院 | 泉山三六 | 審査未了廃案 | ||||
1948年(昭和23年)12月18日 | 衆議院 | 外崎千代吉※ | 12月20日 | 公開議場における陳謝 | 12月22日 | 可決 | |
1948年(昭和23年)12月23日 | 参議院 | 中西功 | |||||
1949年(昭和24年)4月19日 | 衆議院 | 林百郎 | 4月21日 | 公開議場における陳謝 | 4月23日 | 可決 | |
1949年(昭和24年)5月20日 | 衆議院 | 立花敏男 | 5月24日 | 30日間の登院停止 | 5月25日 | 可決 | |
1949年(昭和24年)5月20日 | 衆議院 | 小西寅松 | 5月24日 | 7日間の登院停止 | 5月25日 | 可決 | |
1949年(昭和24年)5月20日 | 参議院 | 星野芳樹※ | 5月23日 | 公開議場における戒告 | 5月27日 | 可決 | |
1949年(昭和24年)5月30日 | 参議院 | カニエ邦彦 | 10月31日 | 30日間の登院停止 | 10月31日 | 可決 | |
1949年(昭和24年)5月30日 | 参議院 | 板野勝次 | 10月31日 | 20日間の登院停止 | 10月31日 | 可決 | |
1949年(昭和24年)5月30日 | 参議院 | 中西功 | 10月31日 | 除名 | 10月31日 | 否決 | |
10月31日※2 | 30日間の登院停止 | 10月31日 | 可決 | ||||
1949年(昭和24年)5月30日 | 参議院 | 金子洋文 | 10月31日 | 25日間の登院停止 | 10月31日 | 可決 | |
1949年(昭和24年)12月2日 | 衆議院 | 砂間一良 | 12月3日 | 公開現場における陳謝 | |||
1950年(昭和25年)4月4日 | 参議院 | 小川友三※ | 4月7日 | 除名 | 4月7日 | 可決 | |
1951年(昭和26年)1月31日 | 衆議院 | 川上貫一 | 3月9日 | 公開議場における陳謝 | 3月24日 | 可決 | |
1951年(昭和26年)3月24日 | 衆議院 | 川上貫一※ | 3月26日 | 除名 | 3月29日 | 可決 | |
1952年(昭和27年)3月4日 | 衆議院 | 川崎秀二 | 5月23日 | ||||
1952年(昭和27年)3月4日 | 衆議院 | 風早八十二 | 5月23日 | ||||
1952年(昭和27年)6月12日 | 衆議院 | 風早八十二 | 6月18日 | 公開議場における陳謝 | 6月26日 | 可決 | |
1952年(昭和27年)6月12日 | 衆議院 | 林百郎 | 6月18日 | 公開議場における陳謝 | 6月26日 | 可決 | |
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 岩間正男 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 兼岩伝一 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 三輪貞治 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 鈴木清一 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 江田三郎 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 岡田宗司 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 栗山良夫 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 中田吉雄 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 水橋藤作 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 河崎なつ | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 高田なほ子 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 小笠原二三男 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 木下源吾 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 島清 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 梅津錦一 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 菊川孝夫 | |||||
1952年(昭和27年)7月4日 | 参議院 | 吉田法晴 | |||||
1953年(昭和28年)3月2日 | 衆議院 | 吉田茂 | (3月14日) | 審査未了廃案 | |||
1953年(昭和28年)8月4日 | 衆議院 | 篠田弘作 | 8月7日 | 公開議場における陳謝 | 8月7日 | 可決 | |
1953年(昭和28年)8月4日 | 衆議院 | 森三樹二 | 8月7日 | 懲罰事犯に該当せず | 8月7日 | 可決 | |
1953年(昭和28年)8月4日 | 衆議院 | 長正路 | 8月7日 | 懲罰事犯に該当せず | 8月7日 | 可決 | |
1953年(昭和28年)8月4日 | 衆議院 | 伊藤卯四郎 | 8月7日 | 懲罰事犯に該当せず | 8月7日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 堤ツルヨ※ | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 山口シヅエ※ | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 大石ヨシエ | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 萩元たけ子 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 山崎始男 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 小林進 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 長正路 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 山田長司 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 三鍋義三 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 西村力弥 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 赤松勇 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 横路節雄 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 春日一幸 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 稲富稜人 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 勝間田清一 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 佐竹新市 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 池田禎治 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 滝井義高 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 大西正道 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 山本幸一 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 山口丈太郎 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 杉村沖治郎 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 高津正道 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 野原学 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 成田知巳 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 島上善五郎 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 田中織之進 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 伊藤卯四郎 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 前田栄之助 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 辻原弘市 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 中村時雄 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 久保田鶴松 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 小平忠 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 穂積七郎 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 森三樹二 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 淡谷悠蔵 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 伊藤好道 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 山花秀雄 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 武藤運十郎 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 浅沼稲次郎 | 6月15日 | 懲罰事犯に該当せず | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 中居英太郎 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 木下郁 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 井手以誠 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 伊瀬幸太郎 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 西村栄一 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1954年(昭和29年)6月9日 | 衆議院 | 山下栄二 | 6月15日 | 30日間の登院停止 | 6月15日 | 可決 | |
1959年(昭和34年)12月17日 | 衆議院 | 浅沼稲次郎※ | |||||
1959年(昭和34年)12月17日 | 衆議院 | 岡田春夫※ | |||||
1959年(昭和34年)12月17日 | 衆議院 | 柏正男※ | |||||
1959年(昭和34年)12月17日 | 衆議院 | 小林進※ | |||||
1968年(昭和43年)3月22日 | 衆議院 | 穂積七郎 | 4月9日 | 30日間の登院停止 | 4月12日 | 可決 | |
1973年(昭和48年)5月10日 | 衆議院 | 小林政子 | 6月23日 | 20日間の登院停止 | 6月26日 | 可決 | |
1976年(昭和51年)10月15日 | 衆議院 | 紺野与次郎 | 審査未了廃案 | ||||
1994年(平成6年) 6月23日 |
衆議院 | 山口敏夫 | 二信組事件 | 6月23日 | 公開議場における陳謝 | 6月29日 | 可決 |
2000年(平成12年)11月20日 | 衆議院 | 松浪健四郎※ | 永田寿康に目掛けてコップの水を浴びせた為。 | 11月27日 | 25日間の登院停止 | 11月28日 | 可決 |
2004年(平成16年)6月15日 | 衆議院 | 津村啓介 | 参議院議会へ闖入及び参議院議長の議場入り妨害。 | 8月4日 | 公開議場における戒告 | 8月5日 | 可決 |
2006年(平成18年)3月2日 | 衆議院 | 永田寿康 | 堀江メール問題によるもの。 | (4月4日) | 議員辞職による廃案 | ||
2007年(平成19年)6月8日 | 衆議院 | 内山晃 | 桜田義孝を羽交い絞めにした為。 | 6月18日 | 30日間の登院停止 | 6月19日 | 可決 |
2013年(平成25年)11月13日 | 参議院 | アントニオ猪木:※2 | 議院運営委員会に許可なく、無断で朝鮮民主主義人民共和国に渡航・訪問したため。 | 11月21日 | 30日間の登院停止 | 11月22日 | 可決 |
- ※ 議長宣告
- ※2 議院規則に基づく本会議での動議提出
脚注
- ^ 猪木氏懲罰動議を可決、参院 山本氏は厳重注意 日本経済新聞 2013年11月13日