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慕容 恪(ぼよう かく、324年[要出典] - 367年)は、五胡十六国時代の前燕の政治家・武将である。字は元恭。
生涯
昌黎郡棘城県(現遼寧省義県の西方)の人。鮮卑慕容部の出身。慕容皝の第四子として生まれる。
生涯
- 幼い頃から慎み深く、思いやりがあり、思慮深くかつ物怖じしない子供であった。
- 15歳で身長が8尺7寸(約2m)になり、雄々しい性格と武勇を持つようになり、天下国家をよく論じた。
- それまで、父・慕容皝にも目を掛けられず母からも可愛がられなかったが、上記の様になって初めて慕容皝は慕容恪の才器に気が付き、次第に重用されるようになったという。
子孫
- 子に、慕容楷・慕容紹がいる。慕容楷は、慕容垂が前秦に亡命した際にも付き従い、後の後燕建国に貢献している。慕容紹も同じく、慕容垂に従って活躍している。
- 東魏の慕容紹宗は慕容恪の末裔といわれている。