三原王
表示
(御原王から転送)
三原王(みはらのおおきみ /みはらおう、生年不詳 - 天平勝宝4年7月10日(752年8月23日))は、奈良時代の皇族。御原王とも記される。知太政官事・舎人親王の子。官位は正三位・中務卿。
経歴
[編集]養老元年(717年)従兄弟の坂合部王や智努王(文室浄三)らとともに二世王の蔭位を受け、無位から従四位下に直叙される。
神亀6年(729年)長屋王の変の後に行われた叙位にて従四位上に昇叙される。聖武朝の中盤は弾正尹や治部卿を歴任する。この間の天平12年(740年)藤原広嗣の乱の勃発に際して、伊勢神宮に奉幣のために派遣されている[1]。
天平18年(746年)正四位下・大蔵卿に叙任されると、天平年間末期以降は順調に昇進、天平20年(748年)従三位に昇叙され公卿に列す。天平勝宝元年(749年)孝謙天皇の即位後に正三位・中務卿に叙任されている。
天平勝宝4年(752年)7月10日薨去。最終官位は中務卿正三位。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 養老元年(717年) 1月4日:従四位下。10月12日:益封
- 神亀6年(729年) 3月4日:従四位上
- 天平9年(737年) 12月23日:弾正尹
- 天平12年(740年) 9月11日:見治部卿
- 天平18年(746年) 3月16日:大蔵卿。4月22日:正四位下
- 天平19年(747年) 1月20日:正四位上
- 天平20年(748年) 2月19日:従三位。4月22日:山作司(元正上皇崩御)
- 天平勝宝元年(749年) 8月10日:中務卿。11月26日:正三位
- 天平勝宝4年(752年) 7月10日:薨去