常徳府

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常徳府(じょうとくふ)は、中国にかつて存在した宋代から民国初年にかけて、現在の湖南省常徳市一帯に設置された。

概要

1165年乾道元年)、南宋により鼎州が常徳府に昇格した。常徳府は荊湖北路に属し、武陵桃源竜陽沅江の4県を管轄した[1]

1275年至元12年)、により常徳府に安撫司が置かれた。1277年(至元14年)、常徳府安撫司は常徳路総管府と改められた。常徳路は湖広等処行中書省に属し、録事司と武陵県と桃源州竜陽州に属する沅江県の1司1県2州州領1県を管轄した[2]1364年朱元璋により常徳路は常徳府と改められた。

のとき、常徳府は湖広省に属し、武陵・桃源・竜陽・沅江の4県を管轄した[3]

のとき、常徳府は湖南省に属し、武陵・桃源・竜陽・沅江の4県を管轄した[4]

1913年中華民国により常徳府は廃止された。

脚注

  1. ^ 宋史』地理志四
  2. ^ 元史』地理志六
  3. ^ 明史』地理志五
  4. ^ 清史稿』地理志十五