順天府

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直隷省の順天府の位置(1820年)

順天府(じゅんてんふ)は、中国にかつて存在した明代から民国初年にかけて、現在の北京市一帯に設置された。

概要[編集]

1368年洪武元年)、明により大都路が北平府と改められた。1370年(洪武3年)、北平に燕王朱棣の王府が置かれた。1403年永楽元年)、北京に昇格し、北平府は順天府と改称された。順天府は北直隷に属し、直属の大興宛平良郷固安永清東安香河の7県と通州に属する三河武清宝坻の4県と覇州に属する文安大城保定の3県と涿州に属する房山県昌平州に属する順義懐柔密雲の3県と薊州に属する玉田豊潤遵化平谷の4県、合わせて5州22県を管轄した[1]

のとき、順天府は直隷省に属し、大興・宛平・良郷・固安・永清・東安・香河・三河・武清・宝坻・寧河・順義・懐柔・密雲・房山・文安・大城・保定・平谷・通州・昌平州・涿州・覇州・薊州の5州19県を管轄した[2]

1914年中華民国により順天府は廃止された。

脚注[編集]

  1. ^ 明史』地理志一
  2. ^ 清史稿』地理志一