川内通康

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。2400:4152:5022:2100:7d5d:c96a:c0ad:e446 (会話) による 2022年3月27日 (日) 13:38個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎経歴・人物)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

川内 通康(かわうち みちやす、1935年12月2日 - 2019年3月5日)は、日本の実業家ニッポン放送元社長。佐賀県佐賀市出身[1]

経歴・人物

佐賀市水ケ江にあるロングサン薬局の長男として産まれる 佐賀大附属中、佐賀高校を経て 東京大学卒業後に1959年ニッポン放送に入社[2]

報道部国会担当記者や営業や編成部門を経て、1992年から社長に就任し、1999年から会長に就任した[2]

1992年から1999年までに日本民間放送連盟の理事を務め、2001年2002年東京国際映画祭のゼネラルプロデューサーも務めた[2]1998年藍綬褒章を受章し、2011年旭日中綬章を受章した[2]

2019年3月5日大動脈解離のために死去[2]。83歳没

脚注