川上和吉

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川上 和吉(かわかみ わきち[1] / かずきち[2]1905年明治38年)2月[2] - 1973年昭和48年)12月19日[1])は、日本の内務厚生官僚国会職員。官選和歌山県知事

経歴

大阪市東区備後町出身[2]大阪高等学校を卒業。1927年12月、文官高等試験行政科試験に合格。1928年東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、千葉県属となる[3]

以後、北海道庁庶務課長、内務事務官、島根県経済部長、広島県経済部長、内務省土木局道路課長、厚生省医療局次長などを歴任[2]

1946年6月、和歌山県知事に就任。1947年2月、同県知事選挙に出馬のため知事を辞任。第一次選挙で一位となるが法定得票数に達せず、決選投票小野真次と戦い落選した[2]。その後、参議院法制部[3]、厚生省社会保険審議会長を務めた[2]

著作

  • 八木金蔵との共著『灯火管制指針』巌松堂、1938年。

脚注

  1. ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』379頁。
  2. ^ a b c d e f 『新編日本の歴代知事』749頁。
  3. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』266頁。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。