山城はるか
山城 はるか(やましろ はるか、本名:亀掛川智子(きけがわ さとこ)、8月13日 - )は宝塚歌劇団卒業生(元雪組・星組男役スター)で振付家。
愛称はキケ(本名の姓より)[要出典]、在団中の公称身長165センチ。
来歴
1973年に初舞台。星組公演『花かげろう[1]』/『ラ・ラ・ファンタシーク[1]』で初舞台を踏む。宝塚入団時の成績は49人中3位[1]。最初の配属(1974年4月[1])は雪組。
新人公演では当時のトップスター汀夏子の役を演じるなど期待され[要出典]、新人公演卒業後は汀・麻実れいトップのもと雪組をもりたてる男役の一人として活動。
1982年に星組へ移動。瀬戸内美八、峰さを理らとともに活動し、瀬戸内退団後は星組2番手として活躍した。
1984年11月29日[1]、『我が愛は山の彼方に[1]』のチャムガ役/『ラブ・エキスプレス[1]』を最後に退団。
退団後は講師などダンス指導者に転進、一時期ブティック店長や秘書となり舞台関係から退いた時期もあったが、再びダンス指導者に復帰、日本テレビ・フジテレビの番組や劇団21世紀FOX公演の振付(2003年度公演)も行った。
人物
宝塚歌劇団の同期生にいずれも女優の大地真央(1982年 - 1985年まで月組トップスター)、平みち(1985年 - 1988年まで雪組トップスター)、姿晴香(1982年 - 1983年まで星組トップ娘役)、ミュージカルスタジオ主宰の四季乃花恵(笹本玲奈の母)、元専科で1991年 - 1996年まで花組組長の未沙のえるがいる。現役では専科所属で1993年 - 1996年まで星組組長の一樹千尋がいる。
宝塚歌劇団時代の出演作品
- 1973年 花かげろう(初舞台) 初舞台から1年間バンビーズのメンバーとして宝塚の番組に出演。
- 1975年 ベルサイユのばら(本公演)小公子(新人公演)オスカル
- 1978年 風と共に去りぬ(新人公演)スカーレット・オハラ
- 1978年 あかねさす紫の花 (本公演)大友皇子(新人公演・東京)中大兄皇子
- 1979年 アップル・ツリー(バウ公演)イブ
- 1981年 彷徨のレクイエム アレクセイ皇子
- 1982年 ジャワの踊り子 私 ※この公演を最後に星組へ異動
- 1982年 心中・恋の大和路 (バウホール再演)与平
- 1983年 オルフェウスの窓 モーリッツ・キッペンベルグ
- 1984年 ラプソディー・イン・ブルー (バウ公演)ポール ※バウホール公演初主演
- 1984年 回転木馬(バウ公演)ビリー
- 1984年 我が愛は山の彼方に チャムガ(退団公演)