寄神美好

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寄神 美好(よりがみ みよし、1920年大正9年)2月9日 - 2003年平成15年)7月20日)は、日本実業家淡路島出身。寄神建設株式会社 元代表取締役会長で創業者。旧東浦町名誉町民。港湾工事における工法等の発明を行っており、数々の特許も取得している。平成5年11月に藍綬褒章を受けた。

年譜[編集]

  • 1920年(大正9年)2月 兵庫県津名郡仮屋町(現:淡路市仮屋)に生まれる。
  • 1934年(昭和9年) 大工の修行のため淡路島から神戸に渡る。 14歳
  • 1938年(昭和13年)3月 潜水業を営む叔父である寄神末吉の養子となる。養父の下で潜水業の修行を開始。 18歳

 ※養父の末吉は美好の大工としての素質を理解していたため強いて潜水業を継ぐことに拘らなかったが、美好は養父の立場を考え潜水業で生きる道を選んだ。

  • 1940年(昭和15年) 同郷の千鶴と結婚。 20歳
  • 1941年(昭和16年) 海軍軍事部に徴用され広島県呉市に向かう。港務部施設課に配属され軍港の整備・改修に従事する。 21歳

 ※この時、呉での作業船乗船経験がその後の美好の実業家としての人生を決定づけることになる。

  • 1942年(昭和17年) 長男悠紀夫誕生。
  • 1945年(昭和20年)8月 広島県江田島で終戦を迎える。神戸に戻り戦禍により神戸港に沈んだ船舶のサルベージに従事する。 25歳
  • 1948年(昭和23年)11月 養父「寄神末吉」が喉頭がんで他界。
  • 1948年(昭和23年)12月 海上保安庁法制定によりサルベージ業の許可を受ける。
  • 1949年(昭和24年)1月 神戸市兵庫区島上町で「寄神海事工業所」を創業。
  • 1950年(昭和25年)8月 寄神海事工業所を株式会社に改組して社長に就任した。
  • 1954年(昭和29年) 神戸港初の大型港湾土木プロジェクト「東部海面埋立て工事」に参画しサルベージ業から総合建設業へと脱却する第一歩を記すことになる。
  • 1957年(昭和32年)7月 美好、予てよりの念願であった 寄神海事工業所 として建設業登録を受けた。また、同年に着工された神戸港「西部海面埋立て第2工区」プロジェクトにも参画し、大型作業船の建造を急ピッチで推進した。
  • 1961年(昭和36年)この頃から経営者として企業規模を急拡大させることに成功し、売上高、従業員ともに倍増を遂げ実業家としての地位を築き始める。
  • 1973年(昭和48年)美好の故郷である淡路島北淡町(現淡路市)の平林地区の開発事業許可を受け埋立用土砂の自社開発に着手し、淡路島の経済的発展、雇用などに大きく寄与することになる。
  • 1993年(平成5年) 11月 藍綬褒章受章。
  • 1994年(平成6年) 寄神建設株式会社 代表取締役 会長に就任。
  • 2003年(平成15年)7月 83歳で生涯を閉じる。

港湾工事に関する発明[編集]

  • 水上構造物の据付方法およびこれに用いる台船 (共同による発明)
  • 起重機船における吊りフックの揺れ止め装置 (共同による発明)

社会活動[編集]

  • 東浦町文化館振興基金は美好が生まれ故郷の淡路島に住む人々の文化に接する機会を増やすために拠出してできたものである。

エピソード[編集]

  • 長年港湾土木工事に従事したことから、海の日を祝日とすることに奔走しその実現に大きく寄与した。 死去した日は、奇しくも海の日である7月20日であった。
  • 美好が社長の頃、昼食はいつも決まって「きざみうどん」であり、会社付近の決まった食堂から出前をしてもらっていた。注文するものは「きざみうどん」のみだった。