宮内康

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宮内 康(みやうち こう、1937年 - 1992年10月)は、日本の建築家建築評論家

生涯[編集]

神戸市出身。生まれは長野県飯田市

東京大学工学部建築学科を1961年卒業大学院数物系研究科博士課程(吉武・鈴木研究室)を1967年に修了。1968年、東京理科大学講師。1969年設計工房を開設。

大学時代から学生運動に加わった経験から、当時の全共闘運動に共感し、行動する。

1969年、宮内嘉久編集『建築年鑑』の編集にかかわり、70年には反万博運動にもかかわる。

1971年には東京理科大学闘争で学生を支援したことにより、大学当局から免職の通告を受けるが4年間に渡る裁判により勝訴する。

建築作品に 状況劇場稽古場、山谷労働者福祉会館、青森県七戸町美術館(現、鷹山宇一記念美術館)などがあるが、設計だけでなく建設も利用者と共におこない、ものつくりを行うことが重要という主張を身をもって示した。

著作に、『怨恨のユートピア』(井上書院、71年)、『風景を撃て 1970-75』(相模書房、76年)がある。