安岡正臣

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安岡 正臣(やすおか まさおみ、1886年7月21日 - 1948年4月12日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

鹿児島県出身。安岡正陸軍大尉の息子として生れる。川内中学校熊本陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1905年11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第43連隊付となる。陸軍戸山学校で学び、1914年11月、陸軍大学校(第26期)を卒業した。

陸軍省軍務局課員、歩兵第51連隊大隊長、第9師団参謀歩兵第29連隊付、第16師団参謀、歩兵第49連隊長、第5師団参謀長などを歴任し、1935年3月、陸軍少将に進級。

歩兵第30旅団長陸軍戦車学校長を経て、1938年3月、陸軍中将となった。独立混成第1旅団長を経て第1戦車団長に就任。ノモンハン事件に出動、ソ連軍と交戦し多大な損害を被った。留守第3師団長を経て、1941年3月、予備役に編入された。1942年7月、陸軍司政長官(スラバヤ州知事)に就任し終戦を迎えた。1945年12月、戦犯容疑で逮捕され、1948年4月に蘭印で刑死した。

親族

  • 娘婿 酒井干城(陸軍中佐

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。