孫基宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Odfjdkgfh (会話 | 投稿記録) による 2016年1月7日 (木) 11:20個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

孫基宗
生誕 1911年
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮黄海道殷栗郡
死没 1991年
中華人民共和国の旗 中華人民共和国雲南省昆明
墓地 北朝鮮新義州
国籍 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮
中華民国の旗 中華民国
中華人民共和国の旗 中華人民共和国
配偶者 金賢学、陣功正
飛行経歴
著名な実績 蒋介石私有飛行機の機関士
空軍 中華民国空軍
戦争 日中戦争
受賞 宣威勲章
テンプレートを表示

孫 基宗(ソン・キジョン、손기종)は中華民国及び中華人民共和国飛行機副操縦士またはエンジニア

経歴

1911年、黄海道殷栗で孫斗煥の長男として生まれる。1919年4月、父に連れられ上海に移住。仁成小学校と三一公学で学んだ。1928年、上海航空工廠で航空技術を学ぶ。

1930年から1931年まで南京国民政府軍政部航空署南京航空修理廠後勤部の機械師、1931年から1937年まで蒋介石私有飛行機の機関士兼副操縦士を務めた。1932年3月、金鉄男(金鐵男、김철남)の長女の金賢學(김현학)と結婚。

1941年、国民政府航空委員会の飛行工程師。太平洋戦争勃発後はインドから中国本土への物資の輸送に参加。中央政府から宣威勲章を授与される。1944年、中国人女性の陣功正と結婚。

1945年、国民政府航空公司の副操縦士。ビルマ、インド、昆明麗江を飛行。

終戦後も中国に残り、1950年から上海民間航空の副操縦士、1952年から重慶民間航空の飛行工程師、1957年から1965年まで雲南民間航空の地面設備工程師を担当した。

1991年、雲南省昆明で死去。遺骨は新義州に埋葬される。

参考