大衡照夫

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大衡 照夫(おおひら てるお、1911年明治44年)6月22日[1][2] - 没年不明)は、日本政治家。元宮城県古川市(現・大崎市(2期)。

来歴

宮城県志田郡古川町出身[2]宮城県古川高等学校 卒、1948年宇都宮高等農林学校(現・宇都宮大学農学部)卒[1][2]。卒業後は全国購買組合連合会に入り[1]、同連合会東京支所肥料部肥料飼料統制課属、同肥料課長、同肥料飼料統制課長となり、退職、帰郷し、1950年保護司となる[1]1951年から古川市議会議員に当選し、7期務め[1]、副議長、議長を歴任し[2]、この間、宮城県社会教育委員を務めた[1]1976年の古川市長選挙に立候補し、現職の三上馨一を破って初当選した[3]1980年1984年の市長選挙でも再選。相手はいずれも元市長の三上馨一だった[3]1988年に市長を退任した。

栄典

脚注

  1. ^ a b c d e f 『日本の歴代市長』第1巻、346頁。
  2. ^ a b c d 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』108頁。
  3. ^ a b 古川市・市長選(宮城県):政治データのブログ

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。