大船神社 (恵那市)
大船神社 | |
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所在地 | 岐阜県恵那市上矢作町字高井戸3107番地の1 |
主祭神 | 白山比売命・気比大神・丹生神・高野神・稲荷大神・須我神 |
創建 | 天平宝字年間 |
例祭 | 4月第4日曜日 |
大船神社(おおぶねじんじゃ)は、岐阜県恵那市の上矢作町の標高1,060mの大船山にある神社。
歴史
元は勝岳山 大船寺という寺院で、天平宝字年間(757年~765年)東大寺の良弁僧正が大船山に草庵を結び聖徳太子の作と言われる救世観音菩薩を安置したのが始まりとする。現在は圓頂寺、萬光寺が交替で秘仏として保管している。
天長年間(824年~834年)小野篁が、東山道鎮撫使として関東方面へ下向の途次この地に本堂及び宝塔を建てる。
延喜3年(903年)醍醐寺の聖宝が東巡した際に弟子の宥賢が別当となり、山門を建て、自ら刻した金剛力士像を安置し、密法を灌修し初めて大船寺と命名し勅賜金榜額を揚げた。
宥賢は、寺務を権掌し前2社(丹生権現、清瀧権現)に加え4社(高野大明神、白山権現、稲荷大明神、気比大明神)を合祀し六社権現を祀った。良弁は法相宗や華厳宗が本義であったが、宥賢により修験道と混淆した真言宗の密教寺院となった。最盛期には周辺に宿坊が三十軒以上存在したという。
文治年間(1185年~1190年)に源義経が武蔵坊弁慶を伴い奥州下向のおり、大船寺に立寄り願書を納めて祈願し、弁慶は杉の小枝を挿して祈りを捧げたと伝えられる。なお大船神社の神井の傍らに大きな杉があるが、その一つを弁慶杉と言い岐阜県指定天然記念物に指定されている。
天正2年(1574年)武田勝頼による東美濃侵攻の戦乱で建物は全て灰燼に帰した。
慶長以降に山の下に移し観音堂と六社を再興したともいうが、寛文11年(1671年)遠州浜松から来た権大僧都明実は、当時の大船山には神社・覚林坊・観音堂・仁王門などがあったが岩村藩主・丹羽氏純の援護を受け十年余りの歳月をかけ本堂、奥院、仁王門等を新造に近い大改造を行なった。
明実の後は、良策-無屑-寿山-昌欣-心浄と続いた。
安政3年(1856年)信州諏訪郡の宮大工の立川和四郎三代宮重により大改造が行なわれ大船山大権現本社という神社建築となり本殿の内正面上部には三体の唐獅子と波の彫刻と牡丹を咥える唐獅子などが彫られ、脇障子には、右に麒麟、左に雲の中の鳳凰などが写実的に表現され現在に残っている。
明治維新後に神仏混淆が禁止されたため大船寺は廃されて大船神社となった。明治35年(1902年)の早春に失火により山門(仁王門)を惜しくも焼失した。拝殿は、明治末期に名古屋の宮大工の名工、伊藤平左衛門 (9世)により竣工され柿葺であった屋根を銅板葺とした。
祭神
- 白山比売命(しらやまひめのみこと)
- 気比大神(けひのおおかみ)
- 丹生神(にうのかみ)
- 高野神(たかののかみ)
- 稲荷大神(いなりのおおかみ)
- 須我神(すがのかみ)
松並木
上矢作町の中心部から大船神社に至る約6kmの尾根づたいの参道には両側に江戸時代に植樹されたアカマツの並木が延々と続いている。総数は350本以上を数える。根元の幹の周囲2〜3m、目通り幹の周囲約2mのものが多い。岩村藩主は大船寺に対する信仰が厚く、その参詣の際の日除けのために植えたものだと伝えられている。昭和34年に岐阜県指定天然記念物となり、昭和58年には「日本名松百選」に選ばれた。
参考文献
- 恵那郡史
- 上矢作町史