大山寺 (徳島県上板町)
大山寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 徳島県板野郡上板町神宅大山14 |
位置 | 北緯34度9分34.23秒 東経134度23分59.54秒 / 北緯34.1595083度 東経134.3998722度 |
山号 | 仏王山 |
宗派 | 真言宗醍醐派 |
本尊 | 千手観音 |
創建年 | 伝・500年前後 |
開基 | 伝・西範僧都 |
札所等 |
四国別格二十霊場1番 四国三十六不動尊霊場1番 |
文化財 |
銅経筒(国の重要文化財) 本堂、大師堂、回廊、鐘楼門(登録有形文化財) |
法人番号 | 6480005003738 |
大山寺(たいさんじ/おおやまでら[1])は徳島県板野郡上板町に所在する真言宗醍醐派の寺院。山号は仏王山。本尊は千手観世音菩薩。四国別格二十霊場第一番札所、四国三十六不動尊霊場第一番札所。
御詠歌:さしもぐさ たのむちかひは 大山の 松にも法の 花やさくらむ
概要
寺院は大山(691メートル)の中腹にあり、山頂からの眺望は「徳島百景」の一つとなっている。
寺伝によれば6世紀前後、武烈天皇・継体天皇の時代に西範僧都(せいはんぞうず)が開基した阿波国最初の仏法道場であると伝えられている。しかし、日本への仏教の伝来は早くとも宣化天皇3年(538年)とされており、当寺院の開基は伝承の域を出ない。
平安時代前期、空海(弘法大師)が伽藍の整備を行い、恵果より授かった千手観音像を本尊として安置したと言われている。
戦国時代、近隣にあった七条城の城主・七条兼仲は当山に祈願し怪力を得たとされる。そのお礼として九重の石塔と鏡餅を当山に背負い上げたと言われている。この伝説に因み、江戸時代になると徳島藩主蜂須賀家は家臣に大鏡餅を担がせ力自慢を競わせた。現在でも毎年1月第3日曜日に「力餅」と呼ばれる、大鏡餅(86キログラム)を載せた三方(合計169キログラム)を抱えて歩く距離を競う行事が行われている。
文化財
- 重要文化財(国指定)
- 銅経筒 - 江戸時代後期の天保2年(1831年)に寺近くの経塚から発見されたという。銅製の経筒で、高さ34.5センチメートル、口径17.5センチメートル。平安時代末期の大治元年(1126年)10月の銘が刻まれている。明治43年(1910年)国の重要文化財に指定された。
- 登録有形文化財
- 本堂
- 大師堂
- 回廊
- 鐘楼門
奥の院
- 黒岩大権現
大山寺を上った大山山頂近くにある。
前後の札所
参考資料
- 徳島史学会/編 『新版 徳島県の歴史散歩』 山川出版社/刊 1995年 32-33ページ
- 宮崎建樹/著 『四国遍路ひとり歩き同行二人』解説編 へんろみち保存協力会/刊 2007年(第7版)
- 現地案内板
注釈
- ^ 読みは「たいさんじ」だが「おおやまでら」でも良い(大山寺住職に確認)