垣内古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
垣内古墳

垣内古墳阯碑(八幡神社境内)
別名 園部垣内古墳
所在地 京都府南丹市園部町内林町
位置 北緯35度6分56.87秒 東経135度28分29.24秒 / 北緯35.1157972度 東経135.4747889度 / 35.1157972; 135.4747889座標: 北緯35度6分56.87秒 東経135度28分29.24秒 / 北緯35.1157972度 東経135.4747889度 / 35.1157972; 135.4747889
形状 前方後円墳
規模 墳丘長82m(84m)
埋葬施設 粘土槨(内部に割竹形木棺
出土品 副葬品多数・埴輪
築造時期 4世紀後半
史跡 なし
有形文化財 出土品(国の重要文化財
特記事項 墳丘は非現存
地図
垣内古墳の位置(京都府内)
垣内古墳
垣内古墳
テンプレートを表示
園部盆地の古墳分布図

垣内古墳(かいちこふん、園部垣内古墳)は、京都府南丹市園部町内林町にあった古墳。形状は前方後円墳。出土品は国の重要文化財に指定されている。

古墳時代前期では口丹波で最大規模の古墳であったが、現在では墳丘は失われている。

概要[編集]

園部盆地の古墳一覧
古墳名 形状 規模 築造時期 史跡
黒田古墳 前方後円墳 52m 3c前半-中葉 京都府指定史跡
中畷古墳 前方後方墳 75m 4c前半 なし
垣内古墳 前方後円墳 82m 4c後半 (消滅)

園部市街地の北部、丘陵先端部を切断して築造された古墳である。1972年昭和47年)の道路拡幅工事の際に大量の鉄滓が出土したことから発見され、同年に発掘調査が実施されたのち削平された[1]。その後、2004年度(平成16年度)に周濠部分の調査が実施されている[2]

墳形は前方後円形で、前方部を東方向に向けた[3]。墳丘外表では葺石状の石のほか、円筒埴輪形象埴輪が検出されている[3]。墳丘周囲には周濠が巡らされており、後円部側で約10メートル、前方部側で約12メートルを測る[4]。また特殊な遺構として、南東の周濠から外堤にかけての部分に掘り残された島状施設が認められている[2]。埋葬施設は粘土槨で、後円部において墳丘主軸と平行に東西方向に向ける[3]。長さ7メートル・幅1.5メートルを測り、内部に刳抜式割竹形木棺(長さ6.4メートル)が据えられた[3]。被葬者は1人と見られるが、性別は明らかとしない[5]。棺内からは三角縁神獣鏡2面を含む銅鏡類や玉類など大量の副葬品が検出されている[6]

築造時期は、古墳時代前期の4世紀後半頃と推定される[2]。口丹波では黒田古墳(園部町黒田)・中畷古墳(南丹市園部町上木崎町)に後続する首長墓に位置づけられる。三角縁神獣鏡・仏獣鏡の同型関係から、当地の首長とヤマト王権との関係を示唆する点で重要視される古墳になる。

出土品は1990年(平成2年)に国の重要文化財に指定されている[6]

遺跡歴[編集]

墳丘[編集]

復元模型
南丹市立文化博物館展示。

墳丘の規模は次の通り(1972年(昭和47年)の発掘調査時点、非現存)[8]

  • 墳丘長:82メートル(資料によっては84メートル[4][2]
  • 後円部
    • 直径:50メートル
    • 高さ:5.5メートル
  • 前方部
    • 幅:30メートル
    • 高さ:3メートル

元々の墳丘は、八幡神社前の交差点が概ねくびれ部の位置になる[2]。墳丘上に設置された埴輪は前方部では検出されておらず、後円部にのみ置かれた可能性が指摘される[2]

出土品[編集]

発掘調査で検出された主な副葬品は次の通り[6]

  • 銅鏡 6面
  • 玉類(硬玉勾玉・碧玉管玉等) 129箇
  • 碧玉車輪石 9箇
  • 碧玉石釧 3箇
  • 碧玉鏃 17本
  • 刀剣類 98口
  • 鉄短甲
  • 銅鏃・鉄鏃
  • 鉄斧など工具類

文化財[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

  • 京都府垣内古墳出土品 一括(考古資料) - 明細は後出。南丹市立文化博物館保管。1990年(平成2年)6月29日指定[6]
国の重要文化財「京都府垣内古墳出土品」の明細
  • 銅鏡
    • 三角縁神獣鏡 2面
    • 三角縁仏獣鏡 1面
    • 四獣鏡 1面
    • 画像鏡 1面
    • 盤龍鏡 1面
  • 玉類
    • 硬玉勾玉 2箇
    • 碧玉勾玉 2箇
    • 碧玉管玉 125箇
  • 碧玉車輪石 9箇
  • 碧玉石釧 3箇
  • 碧玉鏃 17本
  • 銅鏃(残欠共) 一括
  • 刀剣類
    • 鉄刀(残欠共) 23口
    • 鉄剣(残欠共) 50口
    • 鉄槍(残欠共) 23口
  • 鉄短甲 1領分
  • 鉄鏃(残欠共) 一括
  • 工具類
    • 鉄斧 2箇
    • 鉄鉇残欠 一括
    • 刀子残欠 一括
    • 鉄刺突具(残欠共) 15本
    • 鉄鑿(残欠共) 17本
  • 鉄鎌残欠 8箇
  • 鉄鍬残欠 4箇
  • 隅丸長方形鉄板 2枚
  • (附指定)埴輪(残欠共) 一括

関連施設[編集]

  • 南丹市立文化博物館(南丹市園部町小桜町) - 垣内古墳の復元模型・出土品を保管・展示。

脚注[編集]

  1. ^ a b 史跡説明板。
  2. ^ a b c d e f g 第2次発掘調査報告書 2005, pp. 6–13.
  3. ^ a b c d 園部垣内古墳(平凡社) 1981.
  4. ^ a b 垣内古墳(古墳) 1989.
  5. ^ 園部垣内古墳 1990, pp. 124–131.
  6. ^ a b c d e f g 京都府垣内古墳出土品 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  7. ^ 京都府指定・登録等文化財(京都府教育委員会)。
  8. ^ 園部垣内古墳 1990, p. 15.

参考文献[編集]

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板
  • 地方自治体発行
    • 京都府発行
      • 「園部垣内古墳出土品」『京都の文化財 第3集』京都府教育委員会、1985年、36-37頁。 
        • pp. 31-40参照(リンクは京都府教育委員会)。
      • 原田三壽「園部町垣内古墳出土の盤龍鏡」『京都府埋蔵文化財情報 第44号 (PDF)』京都府埋蔵文化財調査研究センター、1992年、45-48頁。  - リンクは京都府埋蔵文化財調査研究センター。
    • 南丹市(旧園部町)発行
      • 「垣内古墳」『図説 園部の歴史』園部町、2005年。 
      • 「垣内古墳第2次調査」『園部町内遺跡発掘調査概報 平成16年度 -柿木谷古墳・鍛冶屋谷古墳・垣内古墳第2次調査-(園部町文化財調査報告 第18集)』園部町教育委員会、2005年。 
  • 同志社大学発行
    • 『園部垣内古墳(同志社大学文学部考古学調査報告 第6冊)』同志社大学文学部文化学科、1990年。 
  • 事典類
    • 「園部垣内古墳」『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490263 
    • 小林三郎「垣内古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 

関連文献[編集]

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『図説 園部の歴史(園部町史通史編)』園部町教育委員会、2005年。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]