吉沢一郎

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吉沢一郎(よしざわ いちろう、1903年1998年1月22日[1])は、日本の登山家一橋大学山岳部出身。1977年、吉沢が総指揮を取った日本登山隊はK2登頂を試みて成功し、これが世界で2番目のK2登頂成功例となった。

麹町小学校卒業後、旧・明治中学校(現明治大学付属明治高等学校・中学校)中退を経て、1928年旧制東京商科大学(現一橋大学)学部卒業。電通映画社専務取締役。

元社団法人日本山岳会副会長。望月達夫深田久弥、諏訪多栄蔵らとともに日本のヒマラヤ研究の第一人者であった。英国山岳会会員でもある。[2]1980年には公共広告機構(現:ACジャパン)のCMに起用された。[3]

著書

  • 『登高記』古今書院 1930
  • 『北の山南の山 研究・随想・紀行』三省堂 1942
  • 『登山技術 - 新しい理論と実践』山渓新書、1970年
  • 『山へ - わが登高記』文藝春秋、1980年
  • 『中高年の登山教室 - 付 私の山旅』信濃毎日新聞社、1992年
共著

翻訳

  • フランシス・シドニー・スマイス(Francis Sydney Smythe )『ウィンパー伝』世界山岳名著全集 あかね書房、1966年
  • G.N.カーゾン『シルクロードの山と谷』世界山岳名著全集 あかね書房、1967
  • エリック・シプトン『わが半生の山々』(Upon That Mountain )世界山岳名著全集、あかね書房、1967年
  • ハロルド・ウィリアム・ティルマン(Bill Tilman )『赤道の雪』世界山岳名著全集、あかね書房、1967年
  • ノルウェー隊『ティリチ・ミール登頂』ヒマラヤ名著全集 第11 あかね書房 1967
  • B・ピエール『ヒマラヤ、わがよき仲間』1967年
  • W・アンスワース『そこに山があるから - アルプスの先駆者たち』経済往来社、1968年
  • コンウェイ『カラコルムの夜明け』ヒマラヤ名著全集 あかね書房、1968 
  • G.ロウ『南極大陸横断』「現代の冒険」文藝春秋、1970
  • ジェラルド・モーガン『ヒマラヤ《人と辺境》 1 幻の探検家ネイ・イライアス』斎藤明子共訳 白水社 1976
  • エドモンド・ヒラリー『ヒラリー自伝 - サー・エドマンド・ヒラリー』(Sir Edmund Hillary草思社、1977年
  • スイス山岳研究財団編『マウンテン・ワールド 第17巻 1968/69』小学館 1988

脚注

  1. ^ 『人物物故大年表』
  2. ^ 横山厚夫さんのエッセイ
  3. ^ 1980年度作品 自ら老人に-私のK2