吉原義人

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吉原 義人(よしはら よしんど、1943年〈昭和18年〉2月21日 - )は、日本の刀匠

日本美術刀剣保存協会無鑑査刀匠、東京都指定無形文化財保持者。

人物

東京都葛飾区高砂出身。同地に鍛刀所を構える。

伊勢神宮式年遷宮(20年に1度)の御神宝太刀を3度製作、高松宮賞3度など上位の特賞を多数受賞、また刀匠として唯一、メトロポリタン美術館ボストン美術館が吉原の作刀を買い上げ展示するなど、作品は国内外で高い評価を受けており、人気、実力ともに当代随一の名工とされる[1]スティーブン・スピルバーグが吉原へ作刀を依頼したことでも知られている[2]

作風

備前伝古名刀の再現を目指しており、備前伝の最も困難なテーマとされる映りを鮮やかに再現し、日本刀備前伝ブームの先駆けとなった[2]。波の高低差が高く大きな波紋を描き、花びらをならべたような華やかな美しさを描き出す「丁子乱れ(吉原丁子)」を得意とする[3]。洗練された彫技も高く評価されている。

著名な家族・弟子(吉原一門)

  • 初代・吉原國家(祖父。本名 : 吉原勝吉。1893年生 - 1945年没)
1941年の『現代刀匠人気大番附 』では「東の横綱」と称され(「西の横綱」はのちの人間国宝月山貞光)、1942年の『聖代刀匠位列表』(栗原彦三郎謹選)においては「貴品上位」に列せられた、昭和初期を代表する名刀匠。
  • 3代目・吉原國家(弟。本名 : 吉原荘二。1945年生)
日本美術刀剣保存協会無鑑査刀匠。東京都指定無形文化財保持者。元・全日本刀匠会会長。東京都葛飾区西水元に鍛刀所を構える。
  • 吉原義一(息子。1967年生 - 2018年没)
日本美術刀剣保存協会無鑑査刀匠(史上最年少)。葛飾区指定無形文化財保持者。父・義人とともに東京都葛飾区高砂を拠点に活動していた。51歳の若さで死去。
  • 清水忠次(兄弟子。1921年生 - ?没)
元・全日本刀匠会相談役。東京都葛飾区青砥住。国家・義人らの協力刀工としても知られ、合作刀などにも優れた作品を遺す。
  • 大野義光(弟子。本名 : 吉川三男。1948年生)
日本美術刀剣保存協会無鑑査刀匠。葛飾区指定無形保持者。新潟県新潟市岡山県岡山市などに鍛刀所を設立している。
  • 久保善博(弟子。1965年生)
日本美術刀剣保存協会無鑑査刀匠。広島県指定無形文化財保持者。日本刀関連の研究活動にも成果がある。広島県庄原市に鍛刀所を構える。

脚注

外部リンク