前野高康

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前野高康
時代 室町時代
生誕 南朝正平5年 / 北朝観応元年(1350年)
死没 応永25年(1418年)
別名 通称:小次郎兵衛
主君 織田常松(織田郷広)[注釈 1]
氏族 良岑氏流前野氏
父母 父:前野宗義 母:?
兄弟 前野高康今井俊氏
前野綱宗前野守久前野成住、女
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前野高康(まえの たかやす、1350年 - 1418年)は、室町時代頃の武将土豪前野家八代目当主で、織田伊勢守家当主織田常松の家臣。通称・小次郎兵衛。

経歴

尾張国土豪前野家の前野宗義の嫡男として1350年に生まれる。織田常松(織田郷広)に仕えたとされている。良岑氏流前野氏の当時の当主前野宗義の嫡男。桓武天皇皇子である良岑安世の八男良岑宗貞の子孫にあたる。先祖に良岑高成良岑(前野)高長などがいる。(詳しくは『良岑氏系図』参照)

前野氏

前野氏は、桓武天皇の子の良岑安世を始祖とする良岑氏の系統で、良岑高成(原高成)の子である良岑(前野)高長もしくはその曽孫である前野時綱尾張国丹羽郡前野村(現在の愛知県江南市前野町〜大口町辺り)に移り住んで前野を名乗ったのが始まりとされている。また良岑高成の娘は、平清盛の父である平忠盛であったともいわれ、高成の娘と忠盛の間に平忠度を産んだともされている。(出典:『良岑氏系図』参照)

系譜

脚注

注釈

  1. ^ 前野家文書『武功夜話』では、織田伊勢守常松織田郷広を同一人物としている。(詳しくは「織田常松」ページの"異説"を参照)

参考