兵馬俑
座標: 北緯34度23分5.7秒 東経109度16分23.1秒 / 北緯34.384917度 東経109.273083度
兵馬俑(へいばよう)は、本来は古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵士及び馬をかたどったものを指す。現在では、陝西省にある秦の始皇帝の陵墓の周辺に埋納されたもののみをさすことが多い。ここでは、世界的に著名な始皇帝のそれについて記す。秦の始皇帝陵の一部として1987年、世界遺産(文化遺産)に登録されている。
発掘以前
史記や漢書など数々の歴史書には秦の始皇帝陵の存在は記されていたが、数々の動乱などにより所在地や存在そのものが忘れ去られていた。漢書には秦の始皇帝陵は項羽によって破壊されたと記されている。
始皇帝の兵馬俑が発掘されて、世界を驚かせたのは1974年のことであるが、この地域の住民の話を総合すると、以前から水を枯らす化け物等として、その存在は薄々知られていたようである。
本格的に発掘されるようになったのは、畑を営んでいた住人が井戸を掘ろうとして偶然見つけたのがきっかけだった。その当人は現在、博物館の名誉副館長となっている。
発掘と調査
この大文物群が発掘され調査が行われると、人々を驚かせるような事実が次々に明らかとなった。
例えば、これらの兵士の俑にはどれ一つとして同じ顔をしたものはないことや、秦の軍隊がさまざまな民族の混成部隊であったこと及びかつての秦の敵国が存在した東方を向いて置かれていたこと等である。
また、この文物により、当時の秦軍の装備や編成等、これまでは文献史料のみでしか伝えられていなかったものが、こうして実物大のものとして現代に生きる我々の目の前に登場したことは非常に大きい意義がある。
現在の技術では俑に彩色された顔料が酸化することを防止できないことから、発掘作業が慎重にされているが、事実上、発掘は停止された状態にある。
21世紀に入った現在でも、この大文物群の調査・研究は続いている。近年の現地の研究者や日本の研究者の調査報告によると、従来、来世へと旅立った始皇帝を守るべく配された軍隊と思われていたこの大文物群は、それだけでなく、生前の始皇帝の生活そのものを来世に持って行こうとしたものであったようだ。すなわち、兵馬のみならず宮殿の実物大のレプリカや、文官や芸人等の俑も発掘された。
2006年には、日本で初めて彩色の残る兵士俑が公開された。同年6月28日の新華社電によると最近では兵馬俑の眠る始皇帝陵の陪葬墓から出土した人骨がペルシャ系のDNAと同じ特徴を持つ男性の骨と分かった[1]。始皇帝陵は秦(紀元前221-同206年)の時代のものなので、従来の学説より約1世紀早く、中国が中央アジア以西の民族と接触していたことを示すとされた。
関連映画
- 程小東(チン・シウトン)監督映画『テラコッタウォリア / 秦俑』
- 香港合作作品、1989年。香港のアクション監督・程小東が張藝謀と鞏俐を主演に起用した映画。張藝謀の扮する将軍(秦始皇帝の側近)が、鞏俐の扮する美女との恋愛で皇帝の怒りにふれ、兵馬俑に生きながら埋葬されるに至る冒険活劇と、三千年後二人とも同じ時代に転生して悲恋コメディーとなる大作映画。[2]
- ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝
- アメリカ作品、 2008年。ハムナプトラシリーズの第3作品目で、これまでのエジプトから中国に舞台を移した映画。劇中に兵馬俑の兵士達がオコーネル一行に襲い掛かってくるシーンがある。
その他
- 姫路市の太陽公園では、兵馬俑が秦始皇兵馬俑博物館をそっくりそのまま再現されており、一般公開され本場の兵馬俑をうかがい知ることができる。
脚注
文献
- 今泉恂之介『兵馬俑と始皇帝』新潮社、1995年11月、ISBN 4106004879
- 陝西始皇陵秦俑坑考古発掘隊、秦始皇兵馬俑博物館(共編)『秦始皇陵兵馬俑』平凡社、1983年9月、[3]
- 滝口鉄夫『中国兵馬俑への旅 カメラ紀行』北海道新聞社、1996年8月、ISBN 4893631152
- 鶴間和幸『始皇帝陵と兵馬俑』講談社、2004年5月、ISBN 406159656X