六郷政殷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Ayukiminami (会話 | 投稿記録) による 2022年11月29日 (火) 12:36個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

 
六郷 政殷
時代 江戸時代後期
生誕 文政11年(1828年
死没 文久元年3月14日1861年4月23日
改名 佳之助(幼名)、政和
戒名 賢良院湛岳鳶水
墓所 東京都台東区西浅草の万隆寺
官位 従五位下伊賀守佐渡守筑前守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶家定家茂
出羽本荘藩
氏族 六郷氏
父母 六郷政恒:不詳
養父六郷主水
正室岡部長和の養女・賀子
政鑑
テンプレートを表示

六郷 政殷(ろくごう まさただ)は、江戸時代後期の大名出羽国本荘藩の第10代藩主官位従五位下伊賀守佐渡守筑前守

略歴

文政11年(1828年)、第9代藩主・六郷政恒の次男として誕生。母は側室。正室は岡部長和の養女・賀子(貞寿院、岡部長慎の娘)。

文政13年(1830年)2月24日、分家である家臣・六郷主水の養子となる。天保10年(1839年)3月18日、本家を継ぐはずだった長兄が早世したため、本家に戻る。天保12年(1841年)4月18日、父・政恒の嫡子になる。同年8月15日、12代将軍・徳川家慶に拝謁する。同年12月13日、従五位下伊賀守に叙任する。後に佐渡守、筑前守に改める。弘化5年(1848年)2月22日、父・政恒の隠居により、家督を相続した。

嘉永4年(1851年)3月13日に城下町で大火が起こってその救済に務めるなど、藩財政は苦しかった。

文久元年(1861年)3月14日、死去。享年34。跡を長男・政鑑が継いだ。

系譜

父母

正室

子女