京都市南区の町名

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南区の位置

本項京都市南区の町名(きょうとしみなみくのちょうめい)では、区内に存在する公称町名を一覧化するとともに、その成立時期・成立過程等について概説する。

区の概要

京都市街地の南方に位置し、北は右京区下京区、東から南は東山区伏見区、西は西京区向日市に接する。面積15.78平方キロメートル、2020年11月現在の推計人口は約101,500人

区の北端をJR東海道本線JR京都線)および東海道新幹線八条通が東西に通る。JR京都駅の駅長室の住所は下京区であるが、新幹線のりばの八条口の前は南区に属する。区のほぼ中央を南北に京阪国道(国道1号)が通り、区の東には鴨川、西には桂川がそれぞれ南に流れており、区南部の伏見区下鳥羽で合流する。区域はこれらの川に挟まれた地区を主体として、桂川西岸の久世地区を含んでいる。区域はすべて平地で、区の成立当時は大部分が農村地帯であったが、現在は住宅地・商業地・工場などが混在する地域となっている。

平安京の南の正門である羅城門、その東西に創建された東寺西寺は現在の南区内に位置していた。区内には東寺(教王護国寺)を除いては、観光スポットは少ない。

南区は昭和30年(1955年)に下京区から分離して成立した。区の大部分は明治35年(1902年)、大正7年(1918年)、及び昭和6年(1931年)、旧葛野郡(かどのぐん)及び紀伊郡(きいぐん)の村から当時の下京区に編入された区域である。桂川西岸の久世(くぜ)地区は、元々乙訓郡久世村で、昭和34年(1959年)に編入された。

町名の概要

京都市内の町名には「大原来迎院町」のように旧村名、旧大字名に由来する広域地名(上記例の場合は「大原」)を冠称するものと、「亀屋町」・「菊屋町」のような単独町名とがあるが、南区の町名は、北部の東海道本線沿いのごく一部を除いて、旧大字名などの地区名を冠した複合町名である。

区内の公称町名の数は、『角川日本地名大辞典 26 京都府』下巻によれば1980年現在269町であった。その後、一部地区で土地区画整理事業実施等に伴う町名町界の変更があり、1町が新たに起立、2町が廃止されて、2009年現在は268町となっている(久世中久世町一丁目〜五丁目は全体を1町と数える)。

区内には「上鳥羽町田」のように、末尾に「町」字を付さない町名が一部に存在する。これらは昭和6年の町名成立時において当該区域が農地等で、人家が存在しなかったものである。

公称町名一覧

単独町名

公称町名 町数
境内町、戒光寺町、古御旅町(東海道線鉄道用地以北を除く。)、塩屋町、大黒町、東寺東門前町、東寺町、八条町、九条町 9

上記のうち、江戸時代からある町名は戒光寺町・古御旅町・塩屋町・大黒町のみである。これらの町は、明治12年(1879年)の下京区成立時点では下京32組に属し、明治25年(1892年)、下京第32学区のうちとなった(詳細は別項「京都市下京区の町名」を参照)。古御旅町は、昭和30年、線路用地を挟んで北が下京区、南が南区に分かれた。境内町と九条町は、明治時代初期、社寺の境内に新たに起立された町名である。八条町と東寺町は明治12年(1879年)、葛野郡八条村の一部が当時の下京区に編入された際に成立したものである。東寺東門前町は昭和31年の成立。

区内の単独町名としては他に四ツ塚町があるが、これについては旧大内村の項で述べる。

旧東九条村

公称町名 町数
東九条上御霊町、東九条中御霊町、東九条東御霊町、東九条東札辻町、東九条中札辻町、東九条宇賀辺町、東九条柳下町、東九条北松ノ木町、東九条南松ノ木町、東九条東松ノ木町、東九条烏丸町、東九条南烏丸町、東九条西御霊町、東九条西札辻町、東九条明田町、東九条西明田町、東九条石田町、東九条南石田町、東九条西河辺町、東九条南河辺町、東九条河辺町、東九条松田町、東九条南松田町、東九条西山町、東九条東山王町、東九条南山王町、東九条南岩本町、東九条東岩本町、東九条西岩本町、東九条河西町、東九条北烏丸町、東九条中殿田町、東九条下殿田町、東九条北河原町、東九条南河原町、東九条室町、東九条上殿田町、東九条西山王町 38

東九条地区はもとの紀伊郡東九条村で、大正7年(1918年)、当時の下京区に編入された。大字はなく、下京区編入に合わせて、「東九条」を冠称する17町に編成された。その後、以下のような町名町界の変更があり、「東九条」を冠称する町は38となっている。

  • (昭和18年成立)西山王町、室町、北・南烏丸町、西御霊町、西札辻町、西明田町、西・南河辺町、南石田町
  • (昭和26年成立)南河原町、東・西・南岩本町、河西町、北・南松ノ木町、東・西山王町、上・東・中御霊町、東・中札辻町、
  • (昭和26年廃止)岩本町、松ノ木町、山王町、御霊町、札辻町
  • (昭和31年成立)南松田町
  • (平成8年成立)東松ノ木町

旧大内村

公称町名 町数
八条坊門町(東海道線鉄道用地以北を除く。)、八条寺内町、八条源町、八条内田町 4
四ツ塚町 1
西九条南小路町、西九条戒光寺町、西九条藤ノ木町、西九条小寺町、西九条横町、西九条針小路町、西九条猪熊町、西九条川原城町、西九条唐橋町、西九条寺ノ前町、西九条池ノ内町、西九条北ノ内町(東海道線鉄道用地以北を除く。)、西九条院町、西九条鳥居口町、西九条春日町、西九条蔵王町、西九条西蔵王町、西九条島町、西九条東島町、西九条柳ノ内町、西九条東柳ノ内町、西九条西柳ノ内町、西九条比永城町、西九条東比永城町、西九条開ケ町、西九条御幸田町、西九条東御幸田町、西九条菅田町、西九条森本町、西九条南田町、西九条仏現寺町、西九条大国町、西九条唐戸町、西九条高畠町、西九条豊田町 35

八条」「西九条」を冠称する町名はもとの葛野郡大内村である。明治35年(1902年)に一部が、大正7年(1918年)に残余が、当時の下京区に編入された。大内村には中堂寺・朱雀・東塩小路・八条・西九条の5つの大字があったが、中堂寺・朱雀・東塩小路は現在の下京区に属し、八条の一部と西九条の大部分は、昭和30年(1955年)に新設の南区に移管された。

大内村大字八条は大正7年、当時の下京区編入時に「八条」を冠称する12町に編成された。寺内町・源町・四ツ塚町・内田町の4町と坊門町の一部(東海道本線線路以南)が南区に属し、残余は下京区に属する。うち、九条通り沿いに位置する四ツ塚町は昭和15年に「八条」の冠称を廃している。

大内村大字西九条は明治35年、当時の下京区に編入されて大字西九条となり、大正7年に「西九条」を冠称する23町に編成された。同じ大正7年、隣接する紀伊郡上鳥羽村大字上鳥羽の一部が下京区に編入され、「西九条」を冠称する6町(南田町・菅田町・大国町・豊田町・高畠町・唐戸町)に編成された。その後、昭和31年に町名町界変更が行われて西蔵王町・東島町・東比永城町と東・西柳ノ内町・東御幸田町が成立。「西九条」を冠称する町は計35となっている。当地区は、昭和30年に大部分が南区となり、北ノ内町の一部(東海道本線線路敷)のみ下京区に残っている。

旧七条村

公称町名 町数
唐橋高田町、唐橋川久保町、唐橋井園町、唐橋羅城門町、唐橋西平垣町、唐橋経田町、唐橋平垣町、唐橋堂ノ前町、唐橋赤金町、唐橋芦辺町、唐橋大宮尻町、唐橋琵琶町、唐橋門脇町、唐橋花園町、唐橋西寺町、唐橋南琵琶町 16

唐橋地区は、もとの葛野郡七条村で、大正7年(1918年)に当時の下京区に編入された。七条村には西七条・西塩小路・御所ノ内・梅小路・唐橋の5つの大字があったが、前の4つは現在の下京区に属し、唐橋は昭和30年(1955年)に新設の南区に移管された。

七条村大字唐橋は大正7年、当時の下京区編入時に「唐橋」を冠称する10町に編成された。その後、昭和19年に町名町界変更が行われて赤金町・高田町・西寺町、西平垣町・堂ノ前町・芦辺町・南琵琶町が成立した。当地区は、昭和30年に大部分が南区となったが、高畑町のみ下京区に残り、梅小路高畑町となっている。以上により、「唐橋」を冠称する町は計16となっている。

旧上鳥羽村

公称町名 町数
上鳥羽勧進橋町、上鳥羽苗代町、上鳥羽南苗代町、上鳥羽鉾立町、上鳥羽南鉾立町、上鳥羽尻切町、上鳥羽唐戸町、上鳥羽南唐戸町、上鳥羽高畠町、上鳥羽菅田町、上鳥羽上調子町、上鳥羽角田町、上鳥羽仏現寺町、上鳥羽大柳町、上鳥羽大物町、上鳥羽北島田町、上鳥羽南島田町、上鳥羽堀子町、上鳥羽花名、上鳥羽北花名町、上鳥羽南花名町、上鳥羽町田、上鳥羽塔ノ本、上鳥羽北塔ノ本町、上鳥羽南塔ノ本町、上鳥羽藁田、上鳥羽鴨田、上鳥羽城ケ前町、上鳥羽岩ノ本町、上鳥羽大溝、上鳥羽石橋町、上鳥羽卯ノ花、上鳥羽中河原、上鳥羽麻ノ本、上鳥羽奈須野町、上鳥羽火打形町、上鳥羽北中ノ坪町、上鳥羽南中ノ坪町、上鳥羽北村山町、上鳥羽南村山町、上鳥羽鍋ケ淵町、上鳥羽八王神町、上鳥羽西浦町、上鳥羽清井町、上鳥羽金仏、上鳥羽馬廻、上鳥羽山ノ本町、上鳥羽戒光、上鳥羽戒光町、上鳥羽北戒光町、上鳥羽川端町 51
上鳥羽塔ノ森東向町、上鳥羽塔ノ森柴東町、上鳥羽塔ノ森上開ノ内、上鳥羽塔ノ森下開ノ内、上鳥羽塔ノ森梅ノ木、上鳥羽塔ノ森洲崎町、上鳥羽塔ノ森江川町、上鳥羽塔ノ森四ツ谷町、上鳥羽塔ノ森柳原、上鳥羽塔ノ森西河原町、上鳥羽塔ノ森上河原、上鳥羽塔ノ森下河原 12

紀伊郡上鳥羽村は、大正7年(1918年)に一部が、昭和6年(1931年)に残余が、当時の下京区に編入された。上鳥羽村には上鳥羽・塔ノ森の2つの大字があった。大字上鳥羽の一部は大正7年、下京区に編入され、「西九条」を冠称する6町に編成された(既述)。大字上鳥羽の残余と大字塔ノ森は昭和6年、下京区に編入され、前者は「上鳥羽」を冠称する43町、後者は「上鳥羽塔ノ森」を冠称する12町に編成された。その後、以下のような町名町界変更が実施され、町名の前に「上鳥羽」が来る町は51町、「上鳥羽塔ノ森」が来る町は変わらず12町となっている。

  • (昭和31年成立)南苗代町・南鉾立町
  • (昭和44年成立)大物町・上調子町・南唐戸町・戒光町・北戒光町・(以下は町名の前に「北・南」が来る)中ノ坪町・塔ノ本町・花名町・島田町・村山町
  • (昭和44年廃止)大物・上調子・下調子町・中ノ坪町・嶋田町・村山町・沓形町・上ノ町・平畔町

なお、上鳥羽戒光町(昭和44年成立)と上鳥羽戒光(昭和6年成立)は並存している。

旧吉祥院村

吉祥院(きっしょういん)地区はもとの紀伊郡吉祥院村で、昭和6年(1931年)、当時の下京区に編入された。吉祥院村には吉祥院・西中・石嶋の3つの大字があり、これら3大字は計74町に編成された。なお、西中は「西ノ庄」と「中河原」、石嶋は「石原」と「嶋」の合成地名である。

公称町名 町数
吉祥院向田東町、吉祥院向田西町、吉祥院前河原町、吉祥院宮ノ東町、吉祥院宮ノ西町、吉祥院内河原町、吉祥院大河原町、吉祥院流作町、吉祥院新田壱ノ段町、吉祥院新田弐ノ段町、吉祥院新田参ノ段町、吉祥院新田下ノ向町、吉祥院西ノ茶屋町、吉祥院三ノ宮町、吉祥院三ノ宮西町、吉祥院中島町、吉祥院清水町、吉祥院九条町、吉祥院定成町、吉祥院西定成町、吉祥院船戸町、吉祥院春日町、吉祥院井ノ口町、吉祥院車道町、吉祥院池ノ内町、吉祥院西浦町、吉祥院里ノ内町、吉祥院落合町、吉祥院南落合町、吉祥院政所町、吉祥院西ノ内町、吉祥院高畑町、吉祥院御池町、吉祥院八反田町、吉祥院這登東町、吉祥院這登中町、吉祥院這登西町、吉祥院仁木ノ森町、吉祥院菅原町、吉祥院東浦町、吉祥院稲葉町、吉祥院前田町、吉祥院東前田町、吉祥院池田町、吉祥院池田南町、吉祥院長田町、吉祥院砂ノ町、吉祥院東砂ノ町、吉祥院観音堂町、吉祥院観音堂南町、吉祥院蒔絵町、吉祥院蒔絵南町、吉祥院堤外、吉祥院堤外町 54
吉祥院西ノ庄東屋敷町、吉祥院西ノ庄門口町、吉祥院西ノ庄西浦町、吉祥院西ノ庄淵ノ西町、吉祥院西ノ庄西中町、吉祥院西ノ庄猪之馬場町、吉祥院西ノ庄向田町 7
吉祥院中河原西屋敷町、吉祥院中河原里北町、吉祥院中河原里西町、吉祥院中河原里南町 4

大字吉祥院は昭和6年、「吉祥院」を冠称する32町と吉祥院嶋野間詰町の計33町に編成され、大字西中は同年、「吉祥院西ノ庄」を冠称する7町と「吉祥院中河原」を冠称する9町の計49町に編成された。以上に該当する町名は以下のとおりである。

  • (町名の前に「吉祥院」が来る)三ノ宮町・中島・清水・定成町・船戸町・井ノ口・車道町・池ノ内町・西浦町・里ノ内町・落合町・政所町・西ノ内町・高畑町・八反田町・這登町・仁木ノ森町・菅原町・東浦・稲葉・前田・池田・長田町・砂ノ町・観音堂町・蒔絵・口河原・竹ケ尻・新田壱ノ段町・新田弐ノ段町・新田下ノ向・堤外
  • (町名の前に「吉祥院嶋」が来る)野間詰町
  • (町名の前に「吉祥院西ノ庄」が来る)東屋敷町・門口町・西浦町・淵ノ西町・猪之馬場町・向田町・黒之内
  • (町名の前に「吉祥院中河原」が来る)西屋敷町・里南町・東河原町・前河原・宮ノ東町・宮ノ西町・大河原・内河原・流作

当地区では、土地区画整理事業実施に伴い、ほぼ全域で町名町界の変更が実施され、町界は大幅に変わっているが、町名については、区画整理事業実施後もおおむね従前の名称が継承されている。下記のような町名の新設改廃を経て、当地区の町名は、「吉祥院」を冠する54町、「吉祥院西ノ庄」を冠する7町、「吉祥院中河原」を冠する4町の計65町となっている。なお、当初「吉祥院中河原」を冠称していた町名の一部において、冠が「吉祥院」に変更されている。「吉祥院嶋」を冠する町名については後述する。

(町名の前に「吉祥院」が来る)
  • (昭和19年成立)清水町・九条町・中島町・井ノ口町・春日町・西定成町・御池町
  • (昭和19年廃止)清水・中島・井ノ口
  • (昭和35年成立)三ノ宮西町・這登(中・西町)・西ノ茶屋町
  • (昭和40年成立)前田町・東前田町・蒔絵町・蒔絵南町・池田町・池田南町・東砂ノ町・這登東町・観音堂南町
  • (昭和40年廃止)前田・蒔絵・池田・這登町・竹ケ尻
  • (昭和41年成立)堤外町・新田下ノ向町・新田参ノ段町・向田(東・西町)
  • (昭和41年廃止)新田下ノ向
  • (昭和44年成立)南落合町・東浦町・稲葉町
  • (昭和44年廃止)東浦・稲葉
  • (昭和40年代廃止)口河原
(町名の前に「吉祥院西ノ庄」が来る)
  • (昭和41年成立)西中町
  • (昭和41年以降廃止)黒之内
(町名の前に「吉祥院中河原」が来る)
  • (昭和41年成立)里北町・里西町
  • (昭和41年廃止)東河原町
(冠を「吉祥院中河原」から「吉祥院」に変更)
  • (昭和41年廃止・成立)吉祥院中河原前河原→吉祥院前河原町・吉祥院中河原宮ノ東町→吉祥院宮ノ東町・吉祥院中河原宮ノ西町→吉祥院宮ノ西町・吉祥院中河原大河原→吉祥院大河原町・吉祥院中河原内河原→吉祥院内河原町・吉祥院中河原流作→吉祥院流作町


公称町名 町数
吉祥院石原上川原町、吉祥院石原長田町、吉祥院石原西ノ開町、吉祥院石原野上町、吉祥院石原京道町、吉祥院石原堂ノ後町、吉祥院石原堂ノ後西町、吉祥院石原東之口、吉祥院石原町、吉祥院石原西町、吉祥院石原開町、吉祥院石原南町、吉祥院石原南、吉祥院石原橋上、吉祥院石原橋裏、吉祥院石原葭縁、吉祥院石原割畑 17
吉祥院嶋野間詰町、吉祥院嶋高町、吉祥院嶋出在家町、吉祥院嶋笠井町、吉祥院嶋堂ノ裏、吉祥院嶋樫山町、吉祥院嶋川原田町、吉祥院嶋堤外、吉祥院嶋中ノ島、吉祥院嶋西浦 10

吉祥院村大字石嶋は昭和6年、吉祥院石原町・「吉祥院石原」を冠する16町・「吉祥院嶋」を冠する9町の計26町に編成された。

吉祥院石原」を冠する町は、以下のような町名町界変更を経て、差引の町数は変わらず16町、吉祥院石原町を含めて17町となっている。

(吉祥院石原)
  • (昭和35年成立)堂ノ後西町
  • (昭和35年廃止・成立)堂ノ後→堂ノ後町・京道→京道町・野上→野上町
  • (昭和40年廃止)財牙町
  • (昭和44年成立)西町・南町・開町
  • (昭和44年廃止)北裏・南ノ口
  • (昭和57年廃止)柳本

吉祥院嶋」を冠する町名は、野間詰町(もと大字吉祥院)を含め当初10町であった。その後、以下のような町名町界変更を経て、差引の町数は変わらず10町となっている。

(吉祥院嶋)
  • (昭和52年成立)樫山町
  • (昭和57年廃止)樫山(昭和52年から57年までは嶋樫山町と嶋樫山が並存していた。)

なお、「吉祥院嶋堂ノ裏」は、当地区の土地区画整理事業実施後は、ごく狭小な町域となっており、一般の地図には収録されていない。

旧久世村

公称町名 町数
久世川原町、久世上久世町、久世高田町、久世中久町、久世中久世町一丁目〜町五丁目、久世殿城町、久世大薮町、久世築山町、久世大築町、久世東土川町 10

久世(くぜ)地区はもとの乙訓郡久世村で、昭和34年(1959年)、南区に編入された。久世村には上久世・久世・大藪・築山・東土川の5つの大字があった。これらは以下のように「久世」を冠称する9町に編成された。

  • 大字上久世→上久世町・高田町・中久町
  • 大字久世→川原町・殿城町
  • 大字大藪・築山→大藪町・築山町・大築町
  • 大字東土川→東土川町

その後、昭和42年(1967年)に久世中久世町一丁目〜五丁目が成立し、「久世」を冠する町は10となっている。

備考

南区の町名について、いずれを現行公称町名とみなすかについては、参照する資料によって相違がある。ここでは以下の資料間における町名の異同について記す。

  • 『角川日本地名大辞典 26 京都府』(略称「角川」)
  • 「京都市区の所管区域条例」(昭和24年4月1日京都市条例第7号)(略称「所管区域条例」)
  • 「公職選挙法に基づいて行う各種選挙の投票区(南区)」(昭和35年4月14日南区選管告示第1号)(略称「選管告示」)

なお、本項解説における町名リストや町数の記載は、混乱を避けるため便宜上『角川日本地名大辞典』を基準とした。

  • 吉祥院堤外町・吉祥院堤外 - この2町のうち「堤外町」は昭和41年、「堤外」は昭和6年に成立している。「所管区域条例」には「堤外町」・「堤外」の両方を収録するが、「選管告示」には「堤外町」のみを収録する。「角川」は、1980年現在の情報として、「堤外町」・「堤外」の両方を収録する。
  • 吉祥院石原南町・吉祥院石原南 - この2町のうち「南町」は昭和44年、「南」は昭和6年に成立している。「所管区域条例」には「南町」・「南」の両方を収録するが、「選管告示」には「南町」のみを収録する。「角川」は、1980年現在の情報として、「南町」・「南」の両方を収録する。「南町」は地図にみえるが、「南」は当該地区の土地区画整理事業実施後の地図にはみえない。
  • 吉祥院西ノ庄黒之内 - この町名は「所管区域条例」には収録されるが、「選管告示」には収録されない。「角川」は廃止済みの旧町名とする。「角川」によれば、昭和41年に当町の一部が隣接する町域に編入され、残余の消滅時期及び編入先は未詳である。
  • 吉祥院口河原 - この町名は「所管区域条例」および「選管告示」には収録されるが、「角川」は廃止済みの旧町名とする。「角川」によれば、当町は昭和40年代まで存続したが、消滅時期及び編入先は未詳である。

参考文献

関連項目

外部リンク