乾ドック

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アメリカ海軍原子力潜水艦グリーンヴィル」。えひめ丸事故後、真珠湾でドック入りの際に撮影。

乾ドック(かんドック)、ドライドックdry dock)とは船舶の製造、修理などに際して用いられる設備。船渠(せんきょ)、乾船渠とも呼ばれる。通常、単に「ドック」と言えば、この「乾ドック」のことを指す。

概説

盤木の設置例。船底の形状によって様々。
排水後、様々な整備を行う。

艦船をドックに入渠(にゅうきょ)させる際には、まず盤木と呼ばれる支えを構築しなければならない(船の模型を置いておく台を大きくしたものと思えばわかりやすい)。盤木によりドックが排水された後でも艦船を直立させておくことが可能となる。盤木はコンクリートなどからなり、船体の形状に合ったものが設置され、ドックに入渠した船体は一見浮いているように見える。それは船底を盤木で支えているためである。

艦船は通常タグボートの助けをかりて入渠する。入り口の起立式や外開き式の水密性扉(ゲート)が閉められ、ドック内は海から完全に隔離される。その後、巨大なポンプを用いてドック内の海水を排水する。ゲートとして扉船を使用する場合もある。扉船の内部にはタンクが設けられており、外洋から出し入れする際にはタンクを排水して浮上させるが、ドックの注排水作業はタンクを注水し浮力を殺す必要がある[1]。なおドックを完全に排水してしまうと扉船には浮力は発生しないので、タンクは排水される。

排水の過程において、船体の位置を微調整するためにスキューバダイバーが用いられることもある。対潜水艦戦用(Anti-submarine warfare, ASW)の艦船では、船体の下部にソナー用ドームが突き出していることがあるが、このような場合には船台の構築に細心の注意を要する。

排水が完了すると、必要に応じて足場などを組んで作業が開始されるが、排水が完全に終わるには時間がかかる。

世界最大の乾ドックは北アイルランドベルファストハーランド・アンド・ウルフ社に存在する。最古のドックとされるものは1495年に設けられたイングランドポーツマスにおけるものである。ただし、9世紀ごろには中国で乾ドックのようなものが用いられていたという説もある。

サン=ナゼールのUボート基地(Uボート・ブンカー)コンクリートで建設し、爆撃に備えた。

なお、軍事用の乾ドックでは、屋根が付属していることも珍しくない。これはスパイ衛星などによる観察を防ぐためである。

第二次世界大戦中には敵の空襲をふせぐために屋根が設けられたこともある。ドイツ海軍Uボートを爆撃から守るため、強固な作りの防空壕(英:シェルター、独:ブンカー)をブレストロリアン(Lorient)に建設した。後にドイツ海軍は防空壕の中で整備や修理を行えるようにした。

しかし、今日では屋根つきのドックは弾道ミサイル潜水艦などの最高軍事機密を扱う際にのみ用いられている。

浮きドック

戦艦アイオワ」。第二次世界大戦中の写真。浮きドックを使用している。

フローティングドックとも呼ばれる。ドックが水中に沈み、船舶や艦船を入渠させた上で排水を行って浮上し、乾ドック同様に作業が可能な設備。浮き船渠、浮き船台とも言われる。

浮きドックは製の浴槽に似た形状、横から見ると凹型になっており、浮きドックに機関など推進装備がない場合、タグボートなどが牽引、曳航することで移動できる。浮きドックを輸送しやすくするため分割式であったりするが、自身で移動、航海できるものもあり、それらは自走浮きドックと呼ばれた。ただし、最初から移動を考慮しない浮きドックも存在し、そういった浮きドックは港湾で建設、利用された。複数のウインチを装備したものは係留ワイヤーの巻き込みと繰り出しにより多少の移動が可能なものもある。

第二次世界大戦中は港湾から遠隔地にあって十分な設備がない場合にも使用され、船内に小規模な工場を持つ工作艦(修理艦)などを同伴して応急修理を可能にした。戦後、航海できない保存船の輸送や巨大な橋などをブロック工法を用いて建造する際に浮きドックが用いられることもある。沈んだ船体をサルベージ(salvage)するためにも用いられた。ケーソン等の水中に沈める構造物を製造するためにも用いられる。

脚註

  1. ^ ドックに注水する際に、扉船への注水を怠ると、大日本帝国海軍航空母艦信濃」のように扉船が跳ね上って外洋の海水がドック内部に突入し船体を破損してしまう。

関連項目

外部リンク