九条兼晴

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九条 兼晴(くじょう かねはる、寛永18年2月6日(1641年3月17日) - 延宝5年11月12日(1677年12月6日))は江戸時代前期の公卿九条家第20代当主。父は左大臣鷹司教平。母は権大納言冷泉為満の娘。兄弟に鷹司房輔鷹司信子徳川綱吉正室)・鷹司房子霊元天皇中宮)らがいる。正室は九条道房の娘九条待姫。号は後往生院。

子に九条輔実二条綱平二条光平養子)・本願寺光澄本願寺光常養子)らがいる。

略歴

寛永18年(1641年)に鷹司教平の子として生まれる。慶安元年(1648年)に叙従三位。延宝5年(1677年)、37歳で死去。

参考文献

  • 『日本史諸家系図人名辞典』(小和田哲男、講談社2003年