中川重春
中川 重治(なかがわ しげはる、1903年6月16日[1] - 1963年11月5日)は、日本の政治家。衆議院議員。初代(旧)男鹿市長[2]。
来歴・人物
秋田県出身。早稲田大学専門部政治経済科に学び、樺太庁嘱託となる[1]。その後、帰郷し海運業を営み、船川港町議、南秋田郡議、秋田県議を歴任する。他に船川港漁業組合長、中川汽船、船川電気、東北木材興業の各社長などを務めた。1936年の第19回衆議院議員総選挙で秋田1区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選。以来連続4期務める。1942年の翼賛選挙では非推薦で立候補して当選した。その後、第1次吉田内閣の逓信政務次官を務め、1947年の第23回衆議院議員総選挙には立候補せず国政から引退した(引退時は民主党)。
引退後は同年6月の船川港町長選挙に立候補し、当選し2期務めた[1]。1954年に男鹿市が発足すると、初代(旧)男鹿市長に就任し、1期務めた。