中川嘉美
中川 嘉美(なかがわ よしみ、1933年(昭和8年)9月17日 - 2005年(平成17年)12月7日)は、日本の政治家。公明党衆議院議員、参議院議員。兵庫県芦屋市出身。
来歴・人物
都立小山台高校を経て、1956年(昭和31年)慶應義塾大学法学部を卒業する。住友商事勤務を経て、1969年(昭和44年)第32回衆議院議員総選挙に公明党公認で衆院旧東京8区から立候補し初当選する。以後衆議院議員当選4回。公明党国際局次長などを歴任する。1986年(昭和61年)第38回衆議院議員総選挙(衆参同日選挙)で落選し、1989年(平成元年)第15回参議院議員通常選挙に回り、比例区で当選し、1期務める。参議院では運輸委員長、科学技術特別委員長などを務めた。1994年(平成6年)12月には新進党結成に参加した。1995年(平成7年)の参院選には出馬せず、政界を引退した。
2005年(平成17年)12月7日、入院中の東京都豊島区の病院で膵臓癌のため死去した[1]。72歳。
脚注
- ^ “中川嘉美氏死去 元公明党参院議員”. 共同通信. (2005年12月8日) 2014年11月13日閲覧。