中山悌一
中山 悌一 | |
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生誕 | 1927年11月9日 |
出身地 | 日本 大分県 |
死没 | 2004年10月7日(76歳没) |
学歴 | 東京音楽学校 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 声楽家(バリトン) |
担当楽器 | 声楽 |
中山 悌一(なかやま ていいち、1920年2月6日 - 2009年9月29日)は、日本のバリトン歌手。東京芸術大学教授、武庫川女子大学教授、洗足学園大学客員教授。大分県出身。
経歴
大分県生まれ。ドイツ歌曲を研究し、1941年に東京音楽学校を卒業。日本においては木下保に師事した。ミュンヘン高等音楽学校に留学してゲルハルト・ヒュッシュに師事。1956年に帰国し、演奏活動再開する。以降放送などで活動を重ね、出演回数は800回を超えた。 また、母校の東京芸術大学などで後進の指導にもあたり、東京芸術大学教授、武庫川女子大学教授、洗足学園大学客員教授をつとめた。弟子には大賀典雄、宮原卓也、伊藤京子等がいる。
1952年には柴田睦陸らと二期会を結成した。1952~1998年には理事長を務めており、日本の音楽界に貢献した。
受賞
家族・親族
出典
- ^ “二期会創設の中山悌一さん死去 バリトン歌手 89歳”. 朝日新聞. (2009年9月30日). オリジナルの2009年10月1日時点におけるアーカイブ。 2009年10月1日閲覧。
- ^ 「秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、在日外国人、外国人の受章者」『読売新聞』1991年11月3日朝刊