世界四大文明

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世界四大文明(せかいよんだいぶんめい)とは人類の文明史の歴史観のひとつ。 歴史上、4つの大文明が最初に起こり、以降の文明はこの流れをくむとする仮説。四大河文明とも言う。

ここで四大文明は、メソポタミア文明エジプト文明インダス文明黄河文明をさす。メソアメリカ文明アンデス文明などのアメリカ大陸の文明は含まれていない(これらを含めて六大文明ということもある)。

なお、この概念は日本・中国・韓国といった東アジアでは受容されているもののその他の地域では受容されていない。欧米では「肥沃な三日月地帯」や前述の六大文明などといった人類の古代文明の発祥の地を「文明のゆりかご」(Cradle of civilization)などと呼ぶ。この言葉は近代ヨーロッパでエジプトなどの文明を描写するのに使われるようになった。

起源と影響

この考え方の原型は梁啓超の『二十世紀太平洋歌』(zh:二十世纪太平洋歌)(1900年)という詩[1]の中にあり、「地球上の古文明の祖国に四つがあり、中国・インド・エジプト・小アジアである」と述べている。梁啓超は太平洋を行く船の上で詠んだこの詩で、世界史の三つの大きな区分を呈示している。第一は大河の周辺に四大文明が出現した「河流文明時代」、第二が地中海紅海黄海などの内海周辺に文明が広がった「内海文明時代」、そして今は大航海時代以降の「大洋文明時代」であるという。

この「四大文明古国」という考え方はアジアでは広まったものの、欧米では受け入れられなかった。また、考古学研究が進展した現代では、初期の文明をたった4つに限定する見方は否定的であり(当の中国でも長江文明遼河文明など、黄河文明以外の文明が存在したことが確認されている)、四大文明という概念自体が知識に乏しかった過去のものといえる。

特徴

これらのグループの特徴は、新石器時代エリコチャタル・ヒュユクのような初期の定住とは区別されているということである。

  • 文明をはぐくんだ大河が存在することによる氾濫農耕灌漑農耕による余剰農産物の蓄積。
  • 都市への定住:人々が特定の職業に就く
  • 組織民族:単一の定住に比べてより広域な地域にまたがる
  • 小麦の文明:黄河文明以外の文明は小麦の栽培が盛ん
  • 広範囲な貿易
  • 文字で筆記すること:そのすべての痕跡を保存するために開発された

脚注