上甑町瀬上
上甑町瀬上 | |
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甑島列島の地図 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 薩摩川内市 |
地域 | 上甑地域 |
面積 | |
• 合計 | 2.92 km2 |
人口 (2011年4月1日現在) | |
• 合計 | 212人 |
• 密度 | 72.60人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
896-1205 |
上甑町瀬上(かみこしきちょうせがみ Kamikoshiki-Chō Segami)は、鹿児島県薩摩川内市の大字[1]。旧甑島郡甑島郷瀬上村、薩摩郡上甑村瀬上。郵便番号は896-1205。人口は212人、世帯数は119世帯(2011年4月1日現在)[2]。面積は2.92Km2である[3]。
地理
甑島列島のうち北部にある上甑島の北端部に位置している[4]。字域の東方から南方にかけては上甑町小島、西方には上甑町桑之浦にそれぞれ隣接しており、字域の北方から東方にかけては東シナ海、南方には浦内湾に面している。
浦内湾は波静かな良港と呼ばれ、真珠養殖がおこなわれている[4]。また、北部にはなまこ池が所在している。字域の中央部には瀬上郵便局が所在しており、付近には2008年までは薩摩川内市立浦内小学校も所在していたが、児童数減少などの理由により薩摩川内市立中津小学校に統合された。
字域の中央部を鹿児島県道348号桑之浦里港線が南北に通り、なまこ池の南部で鹿児島県道352号瀬上里線と接続する。
湖沼
歴史
江戸期の瀬上
瀬上という地名は江戸期より見え、薩摩国甑島郡甑島郷(外城)のうちであった。村高は「旧高旧領」には81石余であったと記されている[5]。瀬上村ではなまこ池のナマコと盆山石がとれ、篤姫が徳川家に輿入れした際に薩摩藩が献上した物品に含まれていた硯は瀬上村で産出された盆山石(冷泉石)が使用されたとされている[6]。
町村制施行以後
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、上甑島及び中甑島の区域より上甑村が成立し、江戸期の瀬上村の区域は上甑村の大字「瀬上」となった[5]。2001年(平成13年)10月23日に公有水面埋立地の区域を大字瀬上字浦底に編入した[7]。
2004年(平成16年)に上甑村が川内市の他7町村と新設合併する際に大字名について法定合併協議会にて「従前の村名を町名とし、これを従前の大字名冠したものをもって、大字とする」[8]とあり、旧村名である「上甑村」の村を町に置換え、従前の大字名である瀬上に冠し、薩摩川内市の大字「上甑町瀬上」となった。
字域の変遷
実施後 | 実施年 | 実施前 |
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大字瀬上字浦底 | 2001年(平成13年) | 公有水面埋立地 |
施設
- 公共
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- 薩摩川内市浦内出張診療所
- 郵便局
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- 瀬上郵便局
小・中学校の学区
市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[9]。
大字 | 小字 | 小学校 | 中学校 |
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上甑町瀬上 | 全域 | 薩摩川内市立中津小学校 | 薩摩川内市立上甑中学校 |
交通
県道
脚注
- ^ 川薩地区合併協議会 町・字の取り扱いについて
- ^ 統計データ(町別住民基本台帳人口) - 薩摩川内市公式ウェブサイト 2011年8月18日閲覧。
- ^ 『上甑村郷土史』p.2 - 上甑村
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.994
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』 角川書店 p.373
- ^ 篤姫のこぼれ話 - 薩摩川内市公式ウェブサイト 2011年8月18日閲覧。
- ^ 平成13年鹿児島県告示第1350号(字の区域の変更、平成13年10月23日付鹿児島県公報第1723号所収)
- ^ 町名・字名の取り扱いについて - 川薩地区法定合併協議会 2010年12月27日閲覧。
- ^ “薩摩川内市 義務教育”. 薩摩川内市役所. 2011年8月18日閲覧。
関連項目
座標: 北緯31度51分37.8秒 東経129度51分46.3秒 / 北緯31.860500度 東経129.862861度