ロイ・エストラーダ

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ロイ・エストラーダ
Roy Estrada
別名 Oréjon
生誕 (1943-04-17) 1943年4月17日(81歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンタアナ
ジャンル ロック
職業 ベーシスト
担当楽器 ベース・ギター
共同作業者 フランク・ザッパキャプテン・ビーフハートリトル・フィート

ロイ・エストラーダ(Roy Estrada、1943年4月17日 - )は、アメリカ合衆国ベーシスト作曲家フランク・ザッパが率いたマザーズ・オブ・インヴェンション(以下、マザーズ)のオリジナル・メンバーで、マザーズの同僚だったローウェル・ジョージリトル・フィートを結成した。2012年1月から、テキサス州刑務所に服役している[1]

来歴

カリフォルニア州サンタアナにて、ヒスパニックの家系[2]に生まれる。本名は、ロイ・ラルフ・モレマン・グアカモーレ・グアダルーペ・イダルゴ・エストラーダ(Roy Ralph Moleman Guacamole Guadalupe Hidalgo Estrada)[3]1964年より、マザーズのオリジナル・メンバーとして[注釈 1]ベース・ギターとファルセット・ボーカルを担当した。1969年8月にザッパがマザーズを解散すると、同年5月にドラッグ問題を理由にマザーズを解雇されたローウェル・ジョージリトル・フィートを結成した[4]。リトル・フィートでは2作のアルバムの制作に携わったが、支持がほとんど得られなかったので、2作目の『セイリン・シューズ』をもって離脱した。

1972年、ドン・ヴァン・ヴリートが率いるキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドに加入して、アルバム『クリア・スポット』の制作とライブ活動に携わった[注釈 2][5][6]1976年、ザッパの『ズート・アリュアーズ』の制作に参加して、ザッパのバック・ミュージシャン[注釈 3]としての活動を再開し、『ユー・アー・ホワット・ユー・イズ』、『たどり着くのが遅すぎて溺れる魔女を救えなかった船』、『ザ・マン・フロム・ユートピア』などのアルバムに参加した。

服役

エストラーダは、1977年に、児童性的虐待の容疑で有罪判決を受けた[7]。後の1994年にも、同罪で逮捕され、懲役6年の判決を受けて服役した[1]。釈放後、音楽シーンに復帰し、マザーズの元メンバーとともに復活ライブを不定期に開催したが、2008年より近所に住む子供たちに対し性的虐待を繰り返していた容疑で2011年に再逮捕され、翌2012年1月に懲役25年の判決を受けて服役した[1]。この服役により、もはや彼の音楽界における活躍の場や将来の可能性は殆どなくなってしまった。

脚注

出典

注釈

  1. ^ エストラーダが在籍していたザ・ソウル・ジャイアンツに1964年にザッパが加入してマザーズが誕生した。
  2. ^ キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドのメンバーは全員、奇妙なステージ名を持つことが義務だったので、エストラーダは "Oréjon" と名乗った。彼が加入した時、マジック・バンドにはマザーズのメンバーだったエリオット・イングバー(ギター)とアート・トリップ(ドラムス、パーカッション)が在籍していた。
  3. ^ ズート・アリュアーズ』を皮切りに、ザッパの新作アルバムの名義は、参加ミュージシャンの顔ぶれの如何を問わず全てフランク・ザッパとなり、マザーズは消滅した。

参考文献

  • Barnes, Mike (2011), Captain Beefheart: The Biography, Omnibus Press, ISBN 978-1-78038-076-6 
  • Ulrich, Charles (2018), The Big Note: A Guide To The Recordings Of Frank Zappa, New Star, ISBN 978-1-55420-146-4 

外部リンク