ルートヴィヒ・フォン・プロイセン
ルートヴィヒ・フォン・プロイセン(Ludwig von Preußen, 1773年11月5日 - 1796年12月28日)は、プロイセン王国の王族。全名はフリードリヒ・ルートヴィヒ・カール(Friedrich Ludwig Karl)で、しばしばルイ(Louis)と呼ばれる。フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の次男で、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の弟。
ルートヴィヒは1773年11月5日、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世(当時王太子)とその2番目の妃であったヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世の娘フリーデリケ(1751年 - 1805年)の間の第3子としてポツダムで生まれた。彼は1793年12月26日にメクレンブルク=シュトレーリッツ大公カール2世の娘フリーデリケとベルリンで結婚した(その2日前にルートヴィヒの兄フリードリヒ・ヴィルヘルム3世とフリーデリケの姉ルイーゼが結婚している)。フリーデリケとの間には以下の2男1女が生まれたが、1796年12月にジフテリアに罹患して急死した。
- フリードリヒ・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ(1794年 - 1863年)
- フリードリヒ・ヴィルヘルム・カール・ゲオルク(1795年 - 1798年)
- フリーデリケ・ヴィルヘルミーナ・ルイーゼ・アメーリア(1796年 - 1850年、アンハルト公レオポルト4世妃)
ルートヴィヒは1796年12月28日にベルリンで死去した。