ルイス・ガラビート
ルイス・ガラビート Luis Alfredo Garavito Cubillos | |
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個人情報 | |
別名 | La Bestia("獣") |
生誕 |
1957年1月25日(67歳) コロンビア キンディーオ県 ヘノバ |
殺人 | |
犠牲者数 |
138人 (遺骨により確定した数) |
犯行期間 | 1994年–1999年 |
国 | コロンビア |
逮捕日 | 1999年4月22日 |
この記事には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。 |
ルイス・アルフレード・ガラビート・クビージョス(Luis Alfredo Garavito Cubillos、1957年1月25日-)はコロンビアのシリアルキラーである。1999年に逮捕されるまでに、140人の少年をレイプ・殺害したことが確認されており、彼が刑務所内で地図上に書いた死体の隠し場所リストではその数は300を超える。犠牲者数から地元のメディアではガラビートを「世界最悪の殺人鬼」と呼んでいる。
逮捕時は懲役30年(コロンビアにおける最大の刑)が課せられるとみられたが自らの罪を反省し、当局の遺体の発見にも協力したことからコロンビアの法律上刑期は22年まで軽減された。服役中の態度次第でさらに早期の釈放が予想される。
生い立ち
1957年、コロンビアのキンディーオ県ヘノバに生まれる。7人兄弟の長男だった。家庭では父親よる虐待があり、彼もその被害者であったと証言している。16歳で家を飛び出し、販売員として働く。その後アルコール使用障害となる。
犯行
標的となったのは6才から16才の児童である。行商人として南米各地を放浪し、障害者のフリをしたり、教育機関の名を騙り、各地方の学校に出入りしていたという。子供たちに小銭やプレゼントを与えて信用させて人気のない場所まで誘い出し、性的暴行を加えた後に喉を切り裂いて殺害、ほとんどの死体はバラバラに解体された。多くの遺体に拷問された跡が残っている。
1997年、ペレイラ西部コーヒー園の近くの湿地から36体の遺体が発見され事件が明らかとなる。その他11箇所以上で遺体が確認されたが、当初はカルト教団の仕業と思われていた。[1]
ガラビートは1999年に12才の少年に対する暴行未遂で逮捕される。その後の追及で140人の殺害を自供した。しかし彼はコロンビアの各地方で172人の児童を殺害した疑いがもたれている。
事件後
暴力が半ば日常的となっているコロンビアにおいても、ガラビートの事件は民衆に衝撃を与えた。事件の凶悪性から考えて刑が軽すぎる、終身刑や死刑を適用するべきだと声が上がった。
2011年5月27日、コロンビアの刑務所統括機関Instituto Penitenciario y Carcelario (Inpec)は、ガラビートが数日中に釈放される可能性を否定し、最高警備刑務所バジェドゥパールから出ることはないと言明した。
Inpec長官グスタボ・アドルフォ・リカウルテ将軍は、これまでに111件の裁判が終了し、さらに第2段階の拘束の必要性があるとした。「この先、25年、30年、40年後に自由になることはない」と話し、新たな殺人での起訴で刑期を上積みし、事実上の終身刑にする可能性がある。
また、隣国エクアドル政府は、コロンビア政府に対し、ガラビートの自国への身柄引き渡しを要請した。ガラビートはエクアドルでの殺人についても関与が疑われており、4月29日にエクアドル外務省からボゴタのエクアドル大使館に要請状が発送され、5月17日に正式にコロンビア外務省に渡された。
エクアドル大使ラウル・バジェホからコロンビア外相マリア・アンヘラ・オルギンに手渡され、要請書にはガラビートがエクアドルで犯した犯行の証拠が添付されている。