リオネル・ファイニンガー
リオネル・ファイニンガー(Lyonel Feininger; 1871年7月17日-1956年1月11日)は、ドイツ系のアメリカ人画家。名前は、英語読みで、ライオネル・ファイニンガーとも表記される。
経歴
[編集]アメリカのニューヨークに生まれる。1880年代後半にドイツに行き、音楽、後に絵画を学ぶ。ベルリンとパリを行き来し、新聞にカリカチュア(風刺画)を描いたりする。 1910年代に入り、ロベール・ドローネーを通じて、キュビスムを知る。1913年には、青騎士のグループにさそわれ、ワシーリー・カンディンスキー、パウル・クレーなどと活動する。1919年には、ヴァルター・グロピウスの誘いで、バウハウスにて教鞭をとる。
グロピウスによる「バウハウス宣言」(Bauhaus-Manifest; 1919年)を掲載したパンフレットの表紙(口絵)は、ファイニンガーによる木版画である。
1937年、妻がユダヤ系だったため迫害を逃れてニューヨークに戻る。1956年、そこで没した。
初期の作品には油彩画にもカリカチュア的な表現が見られ、鮮やかな色彩や、ストーリーを想像させる人物画は、ポスターや絵本の挿絵のような印象を与える。
その後は、パリで出会ったパブロ・ピカソの影響で キュビスムと表現主義を融合させた作風が多くなる。典型的な作品としては、油絵の例で、階調に差をつけた色彩を使って画面(空までを含む)を平面状に分割し、それにより光を表現した風景画である。プリズムを通して見た風景のような観を呈している。
ドイツの迫害の影響で再びニューヨークに戻った後は、喪失感から画風が大きく変化した。生涯の作風は一人のものとは思えないほど多様である。
なお、写真家のアンドレアス・ファイニンガー(1906年-1999年)とT・ルックス・ファイニンガー(en:T. Lux Feininger, Theodore Lukas Feininger; 1910年-2011年)は息子である。
日本での評価
[編集]欧州では抽象画の先駆けとなったカンディンスキーと並び称される画家だが、日本では知名度が低く、個展が開かれるのは稀である。
日本において、個展等の展覧会で本格的に紹介されたことはなかったが、2008年から2009年にかけて本格的な展覧会が開かれた。収蔵先としては、愛知県美術館(「夕暮れの海I」1927)、広島県立美術館などがある。