ヤンスク・カヒッゼ

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ヤンスク・カヒッゼDjansug またはJansug Kakhidze (ჯანსუღ კახიძე),1936年5月26日2002年3月8日)は、旧ソ連グルジア共和国出身の指揮者

略歴

トビリシに生まれ、合唱指揮者を目指しトビリシ音楽院に入学するが、その後オーケストラの指揮者に志望を変更。モスクワマルケヴィチの指導を受ける。1957年に声楽アンサンブル「Shvidkaca」を創設し、第6回モスクワ世界青年音楽祭とブリュッセルの国際コンクールに優勝、グルジア国立合唱団の音楽監督となる。1962年にはトビリシ国立歌劇場の指揮者に就任。1973年からトビリシ交響楽団の芸術監督を長くつとめ、また1998年からトビリシ国立歌劇場の芸術監督、首席指揮者を兼任した。1990年にはフランスに進出し、パリ管弦楽団を指揮したベルリオーズの「ファウストの劫罰」は高い評価を受ける。その後もイギリスロンドン・フィルハーモニー管弦楽団アメリカボストン交響楽団ワシントン・ナショナル交響楽団を指揮するなど、各国で成功を収めた。1986年レニングラード・フィルハーモニー交響楽団と来日している。晩年にはシュトゥットガルト放送交響楽団にもリムスキー=コルサコフで客演している。2002年に喉頭がんで逝去。息子のヴァクタン(ヴァフタング)・カヒッゼも指揮者である。グルジアを代表する指揮者であり、1965年にはソ連人民芸術家の称号を受ける。フランスル・モンド紙は「スラヴのカラヤン」と評した。同郷のギヤ・カンチェリとの親交が深く、七つの交響曲すべてを録音し、数多くの初演を任されている。