ヤコフ・ザーク

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ヤーコフ・イズライロヴィチ・ザークЯков Израилевич Зак ; Yakov Izrailevich Zak, 1913年11月20日 オデッサ - 1976年6月28日 モスクワ)はソヴィエト連邦ピアニスト・音楽教師。ユダヤ系ウクライナ人で、ウクライナ語ではヤキウ・イズライロヴィチ・ザークЯків Ізраїлович Зак)。

概要

オデッサ音楽院でスタルホヴァに師事した後、モスクワゲンリフ・ネイガウスに学ぶ。1935年にデビューを果たし、1937年ショパン・コンクールにおいて優勝ならびにマズルカ賞を勝ち取ると、一躍その名が知られるようになった。1935年よりモスクワ音楽院の教壇に立ち、1947年には教授に、1965年には学科長に昇進した。主要な門人に、ニコライ・ペトロフヴァレリー・アファナシエフユーリ・エゴロフらがいる。1966年ソ連人民芸術家に選ばれた。

クルト・ザンデルリングと共演したブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 Op.83の1949年の録音などがある[1]

脚注

  1. ^ 野焼きの夕に聴く、ブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 Op 83 ヤコフ・ザーク指揮ザンデルリングサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団レニングラード・フィルハーモニー交響楽団1949年(著作権切れ音源)

外部リンク