ミスマルミチ

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ミスマルミチ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1965年4月13日
死没 1988年10月
ネヴァービート
キユーピツト
母の父 Nearula
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 荻伏牧場
馬主 小林信夫
調教師 田中好雄阪神栗東
競走成績
生涯成績 31戦8勝
獲得賞金 3507万円
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ミスマルミチ日本競走馬。いわゆる競馬版「華麗なる一族」と呼ばれる血脈の礎を築いた名繁殖牝馬である。

概要

1970年、優駿牝馬を勝った名馬ヤマピットがたった1頭の牡馬を生んだだけで急死すると、マイリーの血を継ぐ後継繁殖牝馬を失った荻伏牧場は急遽、妹のミスマルミチを牧場に戻し、繁殖入りさせた。なお、ミスマルミチは競走馬時代は中央競馬で五稜郭ステークス、北海ステークス、青函ステークス、3歳牝馬特別など8勝したが、重賞では入着もしていない。

しかし、姉のヤマピットに代わって繁殖牝馬となると次々と活躍馬を産み、マイリー系を再興し、「華麗なる一族」の繁栄を確固としたものにした。おもな子には、最優秀3歳・古牝馬となったイットーを筆頭に、セントライト記念など11勝して中距離で活躍したニッポーキングシンザン記念に優勝したシルクテンザンオー朝日杯3歳ステークスで2着になったサクラアケボノ、小倉大賞典で2着になったニッソウシャークがいる。ニッポーキング以下4頭は種牡馬となり、シルクテンザンオーは北九州記念優勝馬シルクムーンライトの父になった。

1979年からは西山牧場に移り、2頭の仔を残したが、1981年以降はいちども受胎しなかった。イットー以外にはカルカツタ(1972年産まれ、父ミンシオ)、ニシノマルミチ(1981年産まれ、父ファーストドーン)の2頭の牝馬を残しており、カルカツタの牝系子孫は現存する[1][2]が活躍馬は出ていない。

ミスマルミチはナスルーラの3×3という強い近親交配馬である。

血統表

ミスマルミチ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ナスルーラ系

*ネヴァービート
Never Beat
1960 栃栗毛
父の父
Never Say Die
1951 栗毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Singimg Grass War Admiral
Boreale
父の母
Bride Elect
1952 黒鹿毛
Big Game Bahram
Myrobella
Netherton Maid Nearco
Phase

キユーピツト
1957 鹿毛
Nearula
1950 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Respite Flog of Truce
Orama
母の母
*マイリー
Mairie
1953 鹿毛
Supreme Court Precipitation
Forecourt
Lusignan William of Valence
Blue Star F-No.7-e
母系(F-No.) マイリー(GB)系(華麗なる一族)(FN:7-e) [§ 2]
5代内の近親交配 Nasrullah 3×3=25.00%、Nearco (4×4)×4=18.75%、Vatout 5×5=6.25% [§ 3]
出典
  1. ^ [3]
  2. ^ [3]
  3. ^ [3]


出典

  1. ^ 繁殖牝馬情報:牝系情報|カルカツタ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年12月2日閲覧。
  2. ^ 繁殖牝馬情報:牝系情報|プレストンシロー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年12月2日閲覧。
  3. ^ a b c 血統情報:5代血統表|ミスマルミチ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年12月2日閲覧。

外部リンク