ミウス川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2021年3月20日 (土) 06:53; SeitenBot (会話 | 投稿記録) による版 (Botによる: {{Normdaten}}を追加)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ミウス川
2005年撮影
ミウス川2005年
水系 ミウス川
延長 258[1] km
平均流量 12.1[1] m³/s
(河口から65km上流)
流域面積 6680[1] km²
水源 ミウス村(ウクライナ、ルハーンシク州)
北緯48度16分44.46秒 東経38度32分15.75秒 / 北緯48.2790167度 東経38.5377083度 / 48.2790167; 38.5377083
水源の標高 約320 m
河口・合流先 アゾフ海(ロシア、ロストフ州)
北緯47度16分39秒 東経38度48分35秒 / 北緯47.27750度 東経38.80972度 / 47.27750; 38.80972
流路 ウクライナの旗ウクライナ ルハーンシク州、ドネツィク州
ロシアの旗ロシア ロストフ州
テンプレートを表示

ミウス川(ミウスがわ、ウクライナ語: Міусロシア語: Миус)は、ウクライナ東部とロシア南部を流れアゾフ海に注ぐ川である。

ウクライナではルハーンシク州ドネツィク州、ロシア側(最下流)ではロストフ州クィビシェフスキーロシア語版マトヴェーヴォ・クルガンスキーロシア語版ネクリノフスキーロシア語版)の3地区(ラヨン)を流れ、アゾフ海北東部タガンログ湾ミウス干潟ロシア語版に注ぐ。

地理と水文[編集]

ミウス川は全長258km、流域面積は6680平方kmである。ドネツ丘陵ウクライナ語版(Donets Ridge)の斜面、ルハーンシク州の新興村落ミウス村ウクライナ語版に発する。そこからクニャヒゥィニヴカ村ウクライナ語版までの流路はルハーンシク州とドネツィク州の州境になっている。上流では谷はV型であり、川幅(氾濫原を含む)は200メートルから1.2km、下流のステップ地帯では5-6kmに拡がる。上流には独立した区画の淀み(三日月湖)は無いが、中流と下流ではその幅は800メートルに達する。両岸は草と灌木に覆われる。蛇行した河 床の幅は15-25メートル(下流では45メートルに達する)。川の深さは淵で6メートル,浅瀬では0.5メートルまで減少する。水源は主に雪と雨である。12月に凍結し、3月に解氷する。春洪水が特徴である。ミウス川の流域には、給水企業、水力、土地改良(灌漑)に用いられる小さな貯水池が点在している。 川と貯水池の水際には、レクリエーション施設が設置されている。


主な支流[編集]

合流点基準で上流から下流順
支流名 現地名 全長 右岸/左岸 流域国 合流点経緯度
ミウスゥィク 川ウクライナ語版 ウクライナ語: Міусик 左岸 ウクライナ 北緯48度08分05秒 東経38度44分45秒 / 北緯48.13461度 東経38.7459度 / 48.13461; 38.7459
ハルハ川 ウクライナ語: Глуха 右岸 ウクライナ 北緯48度03分06秒 東経38度54分30秒 / 北緯48.05172度 東経38.90836度 / 48.05172; 38.90836
クリペンカ川ウクライナ語版 ウクライナ語: Кріпенька 38km 左岸 ウクライナ 北緯47度59分38秒 東経38度57分20秒 / 北緯47.99382度 東経38.95558度 / 47.99382; 38.95558
ナホリュナ川ウクライナ語版 ウクライナ語: Нагольна 70km 左岸 ウクライナ 北緯47度56分08秒 東経38度56分41秒 / 北緯47.93565度 東経38.94477度 / 47.93565; 38.94477
クリンカ川ロシア語版 ロシア語: Крынка 180km 右岸 ウクライナ-ロシア 北緯47度36分37秒 東経38度48分27秒 / 北緯47.61041度 東経38.80739度 / 47.61041; 38.80739


水名[編集]

「ミウス」はヴォルガ地域からウラル地域まで広く伝播した地名であり、イラン系語源(参考:タジク語: Мис「銅」)を持つ。[2] それはこの地域におけるイラン系民族(スキタイサルマタイ)の歴史的な移住に適合する。この仮説を裏付けるのは、青銅器時代ドンバスにお ける銅鉱山の広範な伝播が物語る事実である。[3]

第2の説によれば、水名の基礎にはチュルク語<<миус>>「ミウス」が横たわっており、音の異なったバリエーションが多くのチュルク系言語で見られる。その意味は「角(つの)」、「角(かく)」「角度」である。 角(かく)は古代の異なる民族によって川の合流点の土地に名付けられた。我々のミウス川に関して言えば、おそらくクリンカ川との合流点の地域であろう。

第3の説では単語«миюш»はチュルク人の言葉で«топь»「沼沢地、泥濘」, «грязь»「泥、ぬかるみ、泥地」を意味した。それは明らかに、泥濘と繁茂した葦によって特徴づけられる川の氾濫原を指している。

ミウス線(ミウス・フロント)[編集]

大祖国戦争(独ソ戦;1941-1945)中、1941年12月から1942年7月まで、および1943年の2月-8月にドイツ軍はミウス川に要塞化された強固な防衛線を構築した。1943年8月にドイツ国防軍ドニプロ川(ドニエプル川)のパンター線ドイツ語版ロシア語版へ大撤退した結果としてミウス線ロシア語版は放棄された。ミウス線は赤軍が南部に進出するのを大いに妨げた。ロストフ・ナ・ドヌが1943年2月に解放されたのに対し、(ミウス線に守られた)タガンロクの解放は1943年8月30日になってからだった。

注記[編集]

リンク[編集]