マルグリット・ド・ロレーヌ (1463-1521)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。EmausBot (会話 | 投稿記録) による 2013年4月6日 (土) 15:07個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ボット: 言語間リンク 6 件をウィキデータ上の (d:Q442619 に転記))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

アランソンの聖堂内にあるマルグリットの像

マルグリット・ド・ロレーヌ(Marguerite de Lorraine, 1463年 - 1521年11月2日)は、アランソン公ルネの妃。マルグリット・ド・ロレーヌ=ヴォーデモン(Marguerite de Lorraine-Vaudémont)またはマルグリット・ド・ヴォーデモン(Marguerite de Vaudémont)とも呼ばれる。父はヴォーデモン伯フェリー2世、母はロレーヌ女公ヨランド・ダンジュー。1921年に列福されている。

ロレーヌのヴォーデモン城で生まれる。1470年に父フェリー2世と死別すると、エクス=アン=プロヴァンスで祖父ルネ・ダンジューの元に育てられ、1480年に祖父が死去した後は兄ルネ2世が治めるロレーヌへ帰された。1488年5月14日、ロレーヌのトゥールでアランソン公ルネと結婚した。

アランソン公との間には1男2女をもうけた。

末子アンヌの誕生後間もなく夫を亡くし、以後は領国の統治と子供たちの養育に専念した。