マリア・アンナ・フォン・シュパーニエン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。RGAMTA (会話 | 投稿記録) による 2021年3月30日 (火) 06:16個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:フェルディナント3世 (神聖ローマ皇帝)を追加 (HotCat使用))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

マリア・アンナ・フォン・シュパーニエン
Maria Anna von Spanien
神聖ローマ皇后
マリア・アナ・デ・アウストリアの肖像(ディエゴ・ベラスケス画、プラド美術館所蔵)
在位 1637年2月15日 - 1646年5月13日
別称号 ハンガリー王妃
ボヘミア王妃
オーストリア大公妃
スペイン王女
ポルトガル王女

出生 1606年8月18日
スペイン帝国エル・エスコリアル宮殿
死去 (1646-05-13) 1646年5月13日(39歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリアの旗 オーストリア大公国リンツ
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリアの旗 オーストリア大公国ウィーンカプツィーナー納骨堂
結婚 1631年2月26日 ウィーン、アウグスティーナ教会
配偶者 神聖ローマ皇帝フェルディナント3世
子女
家名 スペイン・ハプスブルク家
父親 スペインフェリペ3世
母親 マルガリータ・デ・アウストリア=エスティリア
宗教 カトリック教会
テンプレートを表示

マリア・アンナ・フォン・シュパーニエン: Maria Anna von Spanien, 1606年8月18日 - 1646年5月13日)は、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の皇后。

生涯

スペインフェリペ3世と王妃マルガリータの次女。スペイン語名はマリア・アナ・デ・エスパーニャ(María Ana de España)またはマリア・アナ・デ・アウストリア(María Ana de Austria)。姉にフランスルイ13世妃アナ(アンヌ・ドートリッシュ)、兄にフェリペ4世、弟に枢機卿フェルナンド

1620年代、イングランドジェームズ1世は、マリアを王太子チャールズ(後のチャールズ1世)の花嫁に迎えたいと考えた。早速マドリードへチャールズを送り込み求婚させるが、チャールズ自身の堅物な性格と、寵臣バッキンガム公の不遜な態度が災いし、婚約に至らなかった。

1631年、母方の従弟フェルディナント大公と結婚し、6子を生んだ。

1646年、39歳でリンツで亡くなった。