マネキン人形

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マネキン(カナダの衣料品店)
日本の女子高生の制服とバッグを持ったマネキン。

マネキン人形(マネキンにんぎょう、: Mannequin)は、衣服ファッションの陳列あるいは工学上の研究に用いる人体を模した人形マヌカン人形ともいう。「マネキン」、mannequinという語は、中世のオランダ語で「人間」を意味するmanの愛称形であるmannekijnに由来する。

「マネキン」および「マヌカン」はファッション・モデルや衣服の販売などに従事する人をも意味するが、マネキン人形を示す意味、略称でも使われる(誤った略し方と言われるが、携帯電話を携帯と言うのと同じことである。)。

被服用のマネキン[編集]

世界最古のマネキンは、エジプトの王墓から発掘された、等身大の木彫りの人形(王の代わりに衣装の仮仕立てに用いたとされる)という説がある[1]

西洋での歴史[編集]

FRP製のマネキン人形(三木市なめら商店街)

16世紀(14世紀初めに既にあったという説もある[1])のフランスには、商業で衣服の宣伝用にミニチュア版の衣服を着せる目的でビスク・ドールが使われていた。その後、より効果を追求した結果、19世紀頃に、現在のような等身大サイズのマネキン人形にとって代わることになった。ただし、過渡期は籐製やブリキ製の立体ディスプレイ・ハンガーの様相であった。(トルソーを参照)

20世紀にはいると、いくつかのマネキン人形製造会社がパリに設立され、を使用した工業製品としてのマネキン人形が生産されるようになった。1911年には肩関節から腕を取り外し可能な、はじめて衣服の完全な脱着ができる画期的なマネキン人形が発表される。以後、腕と頭部は蝋製で胴体のみ木製フレームに綿入れのキルティングをしたものが主流となった。(縫製に用いる人台に似た形状の胴)

しかし、蝋製のマネキン人形は、ショーウィンドーの照明の熱で溶けたり、重量が重すぎて搬入や移動が困難で、その際に壊れることも多かった。そこで、素材をカルトン(ボール紙[2])製としたマネキンが1920年代に製作された[3]。この軽量な素材は多彩な表現を可能にし、戦前を代表するアールデコスタイルを持つ、革新的なマネキン人形を生み出した[4]。美術においてはジョルジョ・デ・キリコカルロ・カッラ等の形而上絵画に象徴的モチーフとして見られるようになった。

日本ではフランス語のマヌカンのままだと「客を招かん(マヌカン)」と客商売として縁起が悪いとして、マネキン「客を招き(マネキン)」が用いられるようになった[要出典]

日本での歴史[編集]

戦前・戦中[編集]

まだ着物中心だった時期は、生人形に着せて展示していた[5]:84。その後、三越、日本橋高島屋がフランスからマネキンを輸入したが、高価だったため普及には至らなかった[1]

1925年に、当時蝋製マネキンの修理を行っていた島津製作所が洋装マネキン制作に着手。1930年には、蝋ではなくファイバー製(紙製)の軽量なマネキンも開発され[5]、安価な供給が可能となり、国産マネキンが普及していった[5]。ファイバー製マネキンは、楮製紙(ちょせいし)という和紙の一種[6]張り子のようにして作る[7]。島津製作所は以前から紙製の人体模型を「島津式ファイバー製法」で作っており[8]、マネキン事業には人体模型の技術が活用された[3][9]

戦後[編集]

1960年代には、ファイバー(紙)製よりも生産性・強度向上をはかったFRP(グラスファイバーを使った繊維強化プラスチック[10]製のマネキンが主流となった[11]

1968年に渋谷西武百貨店が、当時人気を博していたファッションモデル・ツイッギーをモデルとしたマネキンを、イギリスのアデル社から輸入。追随する形で、特徴あるマネキンの一部輸入を始める企業も出てきた[1]

裁断用[編集]

スタンド付きの人台

衣服を製作するための裁断用の型とする人形は人体ダミーとも呼び[12]、胴体だけのものはスタンド付きの人台[12] (dress formあるいはボディ[12]と呼ぶ。

工学用のマネキン[編集]

人体各所の温度上昇や熱流束の定量的な測定に用いられる人形としてサーマルマネキンがある[13]。また、自動車などの衝突時の人体への影響を測定するためのマネキン人形としてダミー人形がある[14]

ファントム[編集]

人体に吸収される電磁波を計測するための人体模型はファントムと命名されている[15]。生理食塩水が充填されているファントムがあるし、人体と電気的に等価なファントムもある[16]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 『展示学事典』 日本展示学会『展示学事典』編集委員会 - ぎょうせい 1996年、pp.216-217 井上平八郎
  2. ^ "カルトン". 精選版 日本国語大辞典(小学館). コトバンクより2023年3月31日閲覧
  3. ^ a b 三宅, 五穂「マネキンの歴史とV・MDについて」『繊維製品消費科学』第42巻第4号、2001年、23頁、doi:10.11419/senshoshi1960.42.218ISSN 1884-6599 
  4. ^ マネキンのすべて – ヨーロッパからの流れ”. 日本マネキンディスプレイ商工組合. 2022年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月26日閲覧。
  5. ^ a b c 永井, ゆう『等身大人形ディスプレイの文化史的研究 : 近世の宗教行事・民衆娯楽から近代ファッション産業まで』(博士論文)1998年3月21日、90-91頁。doi:10.11501/3137533NAID 500000158409https://dl.ndl.go.jp/pid/3137533/1/95 
  6. ^ 京都国立近代美術館. “七彩に集った作家たち マネキンの材質に注目!”. Facebook. 2023年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月26日閲覧。
  7. ^ 第11章 その他の産業 第1節 マネキン人形」『京都府産業の展望』(改訂版)京都府立中小企業指導センター、1965年3月31日、243頁。doi:10.11501/2510361NCID BA55719830NDLJP:2510361https://dl.ndl.go.jp/pid/2510361/1/129 
  8. ^ 山内, 幹雄「認定化学遺産 第049号 日本の科学史,科学教育史を語る島津製作所 創業記念資料館と収蔵品」『化学と工業』第72巻第7号、日本化学会、2019年、570頁、ISSN 00227684NAID 40021963472オリジナルの2022年6月14日時点におけるアーカイブ、2023年4月3日閲覧 日本化学会 第10回化学遺産認定 認定化学遺産 第049号 『島津製作所 創業記念資料館および所蔵理化学関係機器・資料等』内)
  9. ^ マネキンの歴史と島津製作所の関係とは 国産マネキンの源流は京都に”. 島津製作所 (2021年3月24日). 2021年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月4日閲覧。
  10. ^ マネキンのすべて – 1960年代”. 日本マネキンディスプレイ商工組合. 2017年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月26日閲覧。
  11. ^ マネキンのすべて – 戦後マネキン業界の復興と発展”. 日本マネキンディスプレイ商工組合. 2020年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月26日閲覧。
  12. ^ a b c 藤井, 秀雪「ファッションとともに進化するマネキン」『繊維製品消費科学』第39巻第3号、1998年、23頁、doi:10.11419/senshoshi1960.39.148ISSN 1884-6599 
  13. ^ 田村, 照子、官治, 沙奈恵「我が国におけるサーマルマネキンの使用実態に関する調査報告」『繊維製品消費科学』第62巻第4号、2021年、24頁、doi:10.11419/senshoshi.62.4_251ISSN 1884-6599 
  14. ^ 衝突安全性能評価”. 自動車事故対策機構. 2021年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月14日閲覧。
  15. ^ 比吸収率(SAR: Specific Absorption Rate)および電力密度(Power Density)とは|くらしの中の電波”. www.arib-emf.org. 2023年4月4日閲覧。
  16. ^ 伊藤公一, 吉村博幸, 岡野好伸「電磁波の影響評価に用いるファントムの研究開発」『保健物理』第33巻第3号、日本保健物理学会、1998年、269-275頁、doi:10.5453/jhps.33.269 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]