ボム・ジェズ教会
ボム・ジェズ教会 | |
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ポルトガル語: Basílica do Bom Jesus | |
概要 | |
自治体 | ゴア州 旧ゴア |
国 | インド |
着工 | 1594年 |
完成 | 1605年 |
ボム・ジェズ教会(ボム・ジェズきょうかい)、ないし、ボム・ジェズ・バシリカ(ポルトガル語: Basílica do Bom Jesus、コンカニ語: Borea Jezuchi Bajilika)は、インドのゴア州に位置するローマ・カトリック教会のバシリカであり、UNESCOの世界遺産である「ゴアの教会群と修道院群」の一部でもある[1][2]。このバシリカは、かつてポルトガル領インドの首府であった旧ゴアにあり、聖フランシスコ・ザビエルの遺骸が安置されている[3]。
「ボム・ジェズ」とは、文字通りの意味では「良い(あるいは、聖なる)イエス」を意味し、ポルトガル領植民地であった各地では「エッケ・ホモ(この人を見よ)」の場面への言及に用いられる表現である。イエズス会が設けたこの教会は、インドで最初の小聖堂(小規模なバシリカ)であり、バロック建築やポルトガル植民地建築の好例のひとつとされている。また、この教会は、2010年に選定されたポルトガル由来の世界の七不思議のひとつでもある[4]。
日本語では、表記の揺れがあり、(中黒のない)「ボムジェズ教会」[5]、「ボン・ジェズ教会」[6]、「ボム・ジーザス教会」[7]などの表記が見られる。
歴史
[編集]ここには、フランシスコ・ザビエルの亡骸が聖遺物として保存されていることが知られている[7]。1552年に中国の上川島で死去したフランシスコ・ザビエルの亡骸は、いったん現地に埋葬された後、1553年12月に掘り起こされて、まずポルトガル領マラッカに置かれた後、ゴアへと回送され、コーチを経て1554年3月15日にゴアへ到着した[8]。伝説では、このとき聖人の身体は、埋葬した日と変わらないほど生き生きとしていたという[9]。
その後、亡骸は聖パウロ・コレジオの教会に置かれていたが、ボム・ジェズ教会が竣工した際、付属する居住棟としてカーサ・プロフェッサ・デ・ボン・ジェズ (Casa Professa de Bom Jesus) が設けられ、ザビエルの遺骸は、その3階部分に納められた[8]。
脚注
[編集]- ^ “One wall inside Red Fort to turn white”. The Times of India (2011年5月20日). 2013年12月4日閲覧。
- ^ “Bom Jesus Basilica sitting on a fire bomb: Church official”. The Times of India. (2011年5月11日) 2018年9月2日閲覧。
- ^ “Church slams govt over Iffi dates, threat to Old Goa”. The Times of India (2011年11月12日). 2013年12月4日閲覧。
- ^ New7Wonders - The 7 Wonders of Portuguese Origin
- ^ デジタル大辞泉『ボムジェズ教会』 - コトバンク
- ^ 松田毅一 / 講談社 (2018年2月16日). “ジャパンナレッジで閲覧できる『シャビエル(フランシスコ・ザビエル)』の辞書・事典・叢書別サンプルページ / 日本大百科全書(ニッポニカ)ザビエル”. 亜細亜大学. 2020年11月5日閲覧。 “遺骸(いがい)は現在ゴアのボン・ジェズ教会にあり、右腕だけはローマのジェズ教会に安置されている。”
- ^ a b 「宣教師ザビエルの遺体公開/インドで10年に1度」『四国新聞』2014年11月22日。2022年1月18日閲覧。
- ^ a b Fernandez, Newman. “Xavier's Tomb”. Francis Britto / Sophia University. 2020年11月5日閲覧。
- ^ Himbutana, Gopitha Peiris (2006年1月29日). “Ven. Thotagamuwe Sri Rahula Thera Scholar monk par excellence” (PDF). Lake House. 2013年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月1日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]座標: 北緯15度30分3.14秒 東経73度54分41.44秒 / 北緯15.5008722度 東経73.9115111度