ベルナルド・プロベンツァーノ

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ベルナルド・プロヴェンツァーノ(Bernardo Provenzano、1933年1月31日 - 2016年7月13日[1])はシチリアマフィアのボス。コルレオーネ出身。"Binnu u tratturi"(「トラクターのビンヌ」、敵を多数「なぎ倒した」ため)、財務に強かったことから「会計士」の渾名で知られる。

概要

ルチアーノ・リッジョの逮捕後、サルヴァトーレ・リイナ(リイナとは小さい頃から友人で川で鰻を取ったりして遊んでいた)と共にコルレオーネシを指揮していたといわれる。しかし、リイナに比べると影が薄く、捜査当局の間では、逃亡中にリイナとの権力争いに破れ殺害されたという噂も一時期あった。実際、逮捕されるまで彼の写真は1959年に撮った一枚が知られるのみであった(逮捕後の写真はこちら)。

1993年にリイナが逮捕された後も長い間逃亡生活を送っていたが、2006年4月11日にコルレオーネの自宅で逮捕され、手錠をはめられる時に「取り返しの付かないことになることは承知だろうな」と警官に向かって言った。その後、殺人罪で終身刑の判決を受けた(逮捕前にすでに6回終身刑の判決を受けている)。この頃、当時絶対に負けないといわれていた大物政治家シルヴィオ・ベルルスコーニが選挙で負けた数時間後に、絶対捕まらないと言われたマフィアのプロヴェンツァーノが捕まり、この2人の関係が注目された。一説によると大物政治家が権力を失ったことで関係を持っていたマフィアを守れなくなったのではないかという説がある。

プロヴェンツァーノの逮捕後は、部下のマッテオ・メッシーナ・デナロサルヴァトーレ・ロ・ピッコロドメニコ・ラックリアが後継として有力視されていたが、最終的にはロ・ピッコロがボスの座についた。

ロ・ピッコロは2007年11月5日に息子ら3人と共に逮捕された。ラックリアは2009年11月15日に逮捕され、デナロは2016年現在も逃亡中である。

ANSA通信によると、2008年2月21日までにプロヴェンツァーノとロ・ピッコロの2人の財産1億5千万ユーロを国が没収したと言う(中日新聞、平成20年2月22日より)。ボスだった時代は合法・非合法を含め60億ドル規模のビジネスをしていたという。

2016年、入院先のミラノの病院で膀胱癌のため死去。

2人の息子がおり、1人はドイツの大学で教職をしているという。

脚注