フランシーヌの場合

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フランシーヌの場合
新谷のり子シングル
B面 帰らないパパ
リリース
ジャンル フォーク
レーベル DENON
作詞・作曲 いまいずみあきら(作詞)
郷伍郎(作曲)
プロデュース 飯塚恆雄
チャート最高順位
オリコン4位
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フランシーヌの場合(フランシーヌのばあい)は、1969年6月15日に発売された新谷のり子のデビューシングル。いまいずみあきら作詞、郷伍郎作曲。フランス語のナレーションは古賀力(つとむ)[1]、プロデュースは飯塚恆雄。売り上げは80万枚[2]

解説

1969年3月30日の日曜日、パリの路上でフランシーヌ・ルコント(当時30歳の女性)が、ビアフラの飢餓に抗議して焼身自殺した[2]3月31日朝日新聞夕刊が小さなスペースでこの外電(AFP)を載せた。CF(コマーシャル・フイルム)の制作に携わり、CMソングの作曲家でもあった郷伍郎は、この記事に触発されて『フランシーヌの場合』を作詞作曲した。郷はシャンソン歌手・古賀力新谷のり子、青山音楽事務所(代表者・青山ヨシオ)の協力を得てデモ・テープを製作した。その後、郷伍郎と日本コロムビア飯塚恒雄との出会いがあり、飯塚はこのテープを聴いてから二か月後に日本コロムビア・デノンレーベルから、この曲を市場に出した。レコーディングも古賀力、新谷のり子をそのまま起用して、ドラム・レスの構成を生かすなど、可能な限りデモ・テープのイメージを生かしている。当時は寺山修司の「天井桟敷」から生まれたカルメン・マキの『時には母のない子のように』が先行してヒットするなど和製フォーク・ソングの全盛時代だった。『フランシーヌの場合』も大ヒットして日本のプロテスト・フォークの代表作となった。

収録曲

新谷のり子のシングル「フランシーヌの場合」収録内容
#タイトル作詞作曲編曲
1.フランシーヌの場合いまいずみあきら郷伍郎テディ池谷
2.帰らないパパいまいずみあきら郷伍郎テディ池谷

脚注

参考文献

  • 飯塚恆雄『ニッポンのうた漂流記』河出書房新社、2004年。