ハイバーニア (戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年1月22日 (土) 11:47; 三日月 (会話 | 投稿記録) による版 (→‎艦歴)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

ハイバーニア (HMS Hibernia) はイギリス海軍準弩級戦艦キング・エドワード7世級戦艦の8番艦。

艦歴[編集]

デヴォンポート工廠で1904年1月6日起工。1905年6月17日進水。1906年12月竣工。1907年1月2日就役。

第一次世界大戦が勃発するとハイバーニアの所属する第3戦艦戦隊グランドフリートに配属され、ロサイスを拠点とした。1914年11月2日、第3戦艦戦隊は海峡艦隊への増援として派遣され、拠点をポートランドへ移した。1914年11月14日、戦隊はグランドフリートに戻った。

ハイバーニアは1915年11月までグランドフリートで活動した。艦隊の出撃時、ハイバーニアやその同型艦は弩級戦艦の前を航行した。これは、ハイバーニアなどが機雷を発見、または弩級戦艦より先に触雷することで、より貴重な弩級戦艦を守るためであった。

1915年11月、ハイバーニアと戦艦ジーランディアラッセルアルベマールはダーダネルス作戦に投入されることになった。これらの艦は1915年11月6日にスカパ・フローから出航した。だが、航海の最初の夜にハイバーニアは嵐でひどく損傷し、修理のため引き返すことになった。ハイバーニアは1916年1月8日と1月9日のヘレス岬VおよびWビーチからの撤退を援護し、同月中にイギリスへ向かった。1916年2月5日、デヴォンポート工廠に到着。2月と3月はそこで修理を行い、その後グランドフリートに加わった。

1916年4月29日に第3戦艦戦隊はシアネスへ移った。5月3日にはノア管区へ転属となり、そこに1917年10月まで所属した。

1917年には6インチ砲がすべて撤去されて代わりに新型の6インチ砲を4門が搭載され、撤去された6インチ砲の内6基はモニター「マーシャル・ネイ」に搭載された[1]

1917年10月、退役。1921年11月8日にスクラップとして売却。その後2度転売され、1922年11月に解体のためドイツへ曳航された。

脚注[編集]

  1. ^ イアン・バクストン、橋本若路(訳)、本吉隆(監修)『巨砲モニター艦 設計・建造・運用 1914~1945』イカロス出版、2019年、ISBN 978-4-8022-0707-2、90、259ページ

参考文献[編集]

  • Burt, R. A. British Battleships 1889-1904. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press, 1988. ISBN 0870210610.