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ノーダブル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ノーダブル
欧字表記 Nodouble
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1965年3月4日[1][2]
死没 1990年[1]
Noholme II
Abla-Jay
母の父 Double Jay
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Gene Goff[1][2]
馬主 Gene Goff[1]
調教師 James Bert Sonnier[1]
競走成績
生涯成績 42戦13勝[1][2]
獲得賞金 846,749ドル[1][2]
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ノーダブルNodouble, 1965年 - 1990年)はアメリカ合衆国競走馬種牡馬。1969年・1970年のアメリカ最優秀古牡馬に選出されたほか、種牡馬入り後も1981年の北米リーディングサイアーに選出された。生涯で14か所の競馬場を渡り歩いた馬で、ファンからは「アーカンソー・トラベラー」の愛称で呼ばれていた[1]

経歴

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  • 特記がない限り、競走はすべてダートコース。また、当時はグレード制未導入。

アーカンソー州石油採掘業者であるジーン・ゴフのヴァーナリー牧場で生産されたサラブレッドの牡馬である[1]。2歳時はステークス競走に多数入着するも勝ちきれない馬であった。

当初ノーダブルはクラシック登録をしていなかったが、3歳時になってオークローンパーク競馬場アーカンソーダービー(9ハロン)で優勝すると、馬主のゴフは追加登録料を払ってプリークネスステークスピムリコ・9.5ハロン)に出走させ、3着に入った[注 1]。その後アメリカンダービーでも2着に入ったのち[3]デトロイト競馬場で行われたミシガンマイルアンドワンエイスハンデキャップ(9ハロン)では当時の最強馬ダマスカスを相手に22ポンド差の軽ハンデを活かして勝利し[4]、またホーソーン競馬場ホーソーンゴールドカップ(10ハロン)ではトラックレコードタイ記録で優勝している[5]

4歳時は年初のチャールズ・H・ストラブステークス(サンタアニタパーク・10ハロン)こそ降着で2着と取りこぼしたが、大一番であるサンタアニタハンデキャップ(サンタアニタパーク・10ハロン)では優勝する。次いでカリフォルニアンステークスハリウッドパーク・10ハロン)をトラックレコードタイ記録で勝利すると[6]東海岸に飛んでブルックリンハンデキャップアケダクト・10ハロン)を制覇[7]、さらにホーソーンゴールドカップを連覇した[8]。この頃のライバルには3歳馬アーツアンドレターズがおり、メトロポリタンハンデキャップ(アケダクト・8ハロン)やウッドワードステークスベルモントパーク・10ハロン)、ジョッキークラブゴールドカップ(アケダクト・16ハロン)それぞれで同馬の2着に敗れている。当時は年度代表馬表彰が統一されていない時代で、デイリー・レーシング・フォーム(DRF)が最優秀古牡馬にアーツアンドレターズを選出した一方、サラブレッド競馬協会(TRA)はノーダブルを選出している。

5歳時は再びカリフォルニアから始動し、サンタアニタパークのサンパスカルハンデキャップ(8.5ハロン)ではトラックレコードで優勝した[9]。その後カリフォルニアンステークスでアーツアンドレターズ相手に3着、再び東海岸に渡ってメトロポリタンハンデキャップもトラックレコードで優勝した[10]。サラブレッド競馬協会は同年再びノーダブルを最優秀古牡馬に選出している。

種牡馬入り後

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ノーダブルは1970年10月に競走生活を終え、翌年1971年よりカリフォルニア州のエル・ランチョ・ムリエタで種牡馬となった[1]。カリフォルニアではあまり成功せず、その後ケンタッキー州のドミノスタッドに移され、さらに後にフロリダ州のラスター牧場に移された。フロリダでは一転して成功を収めるようになると、再びケンタッキー州のスリーチムニーファームに移送され、そこで1990年に没するまで余生を過ごした[1]

ジョッキークラブの調べによると、ノーダブルは産駒644頭のうち428頭が勝ち上がり、うち84頭がステークス競走勝ちを収めている[1][注 2]。さらに1981年には北米リーディングサイアーの座を獲得している[1]。以下は主な産駒。

血統表

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ノーダブル血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 スターキングダム系
[§ 2]

Noholme
栗毛 1956
父の父
Star Kingdom
栗毛 1946
Stardust Hyperion
Sister Stella
Impromptu Concerto
Thoughtless
父の母
Oceana
鹿毛 1947
Colombo Manna
Lady Nairne
Orama Diophon
Cantelupe

Abla-Jay
鹿毛 1955
Double Jay
黒鹿毛 1944
Balladier Black Toney
Blue Warbler
Broomshot Whisk Broom
Centre Shot
母の母
Ablamucha
栗毛 1947
Don Bingo Serio
Lirica
Sweet Betty Challenger
Betty Dalme
母系(F-No.) (FN:A1) [§ 3]
5代内の近親交配 アウトブリード [§ 4]
出典
  1. ^ [11], [12]
  2. ^ [12]
  3. ^ [11], [12]
  4. ^ [11], [12]

母アブラジェイは1963年のキーンランドセールにおいてジーン・ゴフが3,200ドルで購入した馬であった。ゴフは1968年のセールにおいてノーダブルを身籠った状態の同馬を10万ドルで上場したものの、落札されず主取りしたという逸話がある[1]

エピソード

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脚注

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注釈

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  1. ^ 4位入線であったが、3位入線のダンサーズイメージが降着したため3着に繰り上げられた[1]
  2. ^ 『サラブレッド・タイムズ』誌の調べでは91頭がステークス競走勝ちを収めたとある[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Avalyn Hunter. “Nodouble (horse)”. American Classic Pedigrees. 2021年5月23日閲覧。
  2. ^ a b c d Nodouble (AR)”. EQUIBASE. 2021年5月23日閲覧。
  3. ^ SI Staff (1968年8月12日). “A roundup of the sports information of the week”. SI.com. Sports Illustrated. 2021年5月23日閲覧。
  4. ^ Whitney Tower (1968年9月23日). “Mr. Nerud's everything horse”. SI.com. Sports Illustrated. 2021年5月23日閲覧。
  5. ^ SI Staff (1968年10月28日). “A roundup of the sports information of the week”. SI.com. Sports Illustrated. 2021年5月23日閲覧。
  6. ^ Nodouble, $10, Captures $120,400 Californian, Equaling Record for Stakes”. nytimes.com. The New York Times (1969年5月18日). 2021年5月23日閲覧。
  7. ^ SI Staff (1969年7月28日). “A roundup of the sports information of the week”. SI.com. Sports Illustrated. 2021年5月23日閲覧。
  8. ^ SI Staff (1969年10月27日). “A roundup of the sports information of the week”. SI.com. Sports Illustrated. 2021年5月23日閲覧。
  9. ^ SI Staff (1970年2月16日). “A roundup of the sports information of the week”. SI.com. Sports Illustrated. 2021年5月23日閲覧。
  10. ^ SI Staff (1970年6月8日). “A roundup of the sports information of the week”. SI.com. Sports Illustrated. 2021年5月23日閲覧。
  11. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Nodouble(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 日本軽種馬協会. 2021年5月23日閲覧。
  12. ^ a b c d Nodoubleの血統表”. netkeiba.com. 2021年5月23日閲覧。