チャルグローヴ

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チャルグローヴ

南東から見たセント・メアリー教区教会
チャルグローヴの位置(イギリス内)
チャルグローヴ
チャルグローヴ
イギリスにおけるチャルグローヴの位置
面積11.15 km2 (4.31 sq mi)
人口2,830人 (2011 Census)
人口密度254/km2 (660/sq mi)
英式座標
SU6396
教区
  • Chalgrove
非都市ディストリクト
  • South Oxfordshire
シャイア・カウンティ
構成国England
イギリスの旗 イギリス
郵便地域Oxford
郵便番号OX44
市外局番01865
警察 
消防 
救急医療 
英国議会
  • Henley
公式サイトChalgrove Parish Council
場所一覧
イギリス
北緯51度39分54秒 西経1度04分37秒 / 北緯51.665度 西経1.077度 / 51.665; -1.077座標: 北緯51度39分54秒 西経1度04分37秒 / 北緯51.665度 西経1.077度 / 51.665; -1.077

チャルグローヴ(Chalgroveはサウス・オックスフォードシャーの村および市民教区で、オックスフォードの南東約16kmに位置する。教区にはロフォードの集落と、1932年に合併したワープスグローブの旧教区が含まれる。 2011年の国勢調査によれば教区の人口は2,830人である。 [1]1643年の小規模な内戦チャルグローヴ・フィールドの戦い英語版の場としても知られる。この内戦では国会議員ジョン・ハンプデンが戦闘で負傷し、後に死亡した。

考古学[編集]

ローマの皇帝ドミティアヌス2世英語版の銀の硬貨が見つかっている。 [2]同種の硬貨がフランスで発見され皇帝の存在が証明されるまで、硬貨は偽造であると考えられていた。

1976年の干ばつ英語版の際には、航空考古学がバックブルックの隣で埋められた堀と土塁のクロップマークを発見した。その後の発掘調査により、13世紀の堀のあるマナー・ハウスの遺跡が発見された。 [3] [4]

領地[編集]

1086年のドゥームズデイ・ブックは、村をCelgraveとして記録している。 [5]その後の綴りには1170年のChealgraue、1236年のChalcgravaがある。これは「チョークまたは石灰岩の穴」を意味する古英語のcealc-græfまたはcealc-grafuに由来する。 [6]

マナーハウスは15世紀初頭に建てられ[7] 、チャルグローヴで2番目に古い建物になっている。もともとはデ・プレシスの邸宅と荘園の裁判所で、以前の建物の敷地に一部が残っている。

家屋は指定建造物の1級で、1980年代に修理修復されている。[7]

教区教会[編集]

セントメアリー教区教会の17世紀の洗礼盤
セントメアリー教区教会にあるロバート・クアトレメインにむけて描かれた記念碑(1697年死去)

イギリス国教会教区教会英語版の初期の一部である聖母マリア教会は13世紀に建てられた。 [8]ノルマンディーベネディクト会修道院であるベック修道院英語版の僧侶によって始められた。

教会は1500年の状態のままであると考えられているが、1727年に激しい嵐で吹き飛ばされるまではの頂上に尖塔があったとの記録もある。ジェニファー・シャーウッドはこれに関して「塔はおそらく修理中に改築された」と考察している[9]

14世紀には、内部はエッサイの木英語版最後の審判聖母被昇天の中世の伝説を示す一連の壁画で飾られた。歴史家は、これらの壁画は当時チャルグローヴの2つの邸宅の1つに住んでいたデバランティン家の要請により、1320年頃に完成したと考えている。シャーウッドはこの絵を「国内で最も完成度の高い連作の1つ」と表現し[9] 、14世紀半ばのものであると考察している。絵画は英国宗教改革英語版の際に石灰で塗り直されたが、1858年に当時の牧師ロバート・フレンチ・ローレンスによって委託された改修工事で再発見された。 [10]北の壁画のいくつかは古さのためにやや不明瞭になり、南の壁画の2つは石灰の層や大理石のモニュメントで覆われて隠され、または損傷している。

通路にあるセントジェームズ礼拝堂の東壁には、17世紀末の絵画の記念碑がある。 [11] 1984年に修復のため取り除かれ、身廊の東端に再配置された。 [11]この除去により更に古い時代の中世の壁画が現れた。 [11]

教会は指定建造物の1級に指定されている。 [8]

経済社会史[編集]

17世紀と18世紀の2軒のわらぶき屋根のコテージ[12]

チャルグローヴは、小川のほとりで野原に囲まれた線上集落として始まった。初期の家はオックスフォードへ続く道の脇に建てられた。 1086年、 ドゥームズデイ・ブックには村に5つの工場が稼働していたことが記されている。現在村の西端にあるマナーの向かいのミルレーンには、現存する「ミル」は1つのみになっている。製粉所は1998年に稼働状態に復元され、水車を回転させてトウモロコシを粉砕するために使用された。小川はチャルグローヴを過ぎるとスタッドハンプトンを通り、次にチゼルハンプトンを流れ、テムズ川の支流であるテム川に合流する。

かつては洪水に悩まされた土地で、1879年には22軒の家が深刻な洪水に見舞われた。[要出典] 19世紀に村の東端に水門が建設され、現在はバックブルックと呼ばれている元のチャルグローヴ川の流れから、ハイストリートに沿って流れるように水の一部を迂回させた。[要出典]現在では小川の水量は大幅に減少し洪水のリスクは減っており、ハイストリートのごく一部が時折危険にさらされるに留まっている。

参考文献[編集]

  1. ^ Area: Chalgrove (Parish): Key Figures for 2011 Census: Key Statistics”. Neighbourhood Statistics. Office for National Statistics. 2014年11月25日閲覧。
  2. ^ “Coin unearths new Roman emperor”. BBC News. (2004年2月25日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/oxfordshire/3518621.stm 
  3. ^ Smith (2008年). “Chalgrove Manor, Harding's Field, Chalgrove: Oxfordshire Archaeological investigations by Oxford Archaeology”. Archaeology Data Service. University of York. 2022年3月20日閲覧。
  4. ^ Page, Atherton & Hardy 2004[要ページ番号]
  5. ^ Place: Chalgrove”. Open Domesday. University of Hull. 2022年3月20日閲覧。
  6. ^ Ekwall 1960, Chalgrave
  7. ^ a b Historic England. "The Manor (Grade I) (1368856)". National Heritage List for England (英語). 2018年7月16日閲覧
  8. ^ a b Historic England. "Church of St Mary (1284879)". National Heritage List for England (英語). 2012年7月31日閲覧
  9. ^ a b Sherwood & Pevsner 1974, p. 526
  10. ^ Heath-Whyte 2003, p. 9.
  11. ^ a b c Heath-Whyte 2003, p. 90
  12. ^ Historic England. "1, The Green (Grade II) (1059744)". National Heritage List for England (英語). 2018年7月16日閲覧

参考文献[編集]

外部リンク[編集]